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【政治】

緒方貞子さん死去 難民支援 現場貫く

2000年9月、パキスタンのアフガニスタン難民キャンプで、子供たち手作りのハンカチを受け取る緒方貞子国連難民高等弁務官=ロイター・共同

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<評伝> 「現場に出て、ものを考えないと問題の解決には向かわない」。死去した緒方貞子(おがた・さだこ)さん(92)がこだわり続けた難民援助の信条だ。身長一五○センチほどの小柄な体に重さ約十五キロの防弾チョッキを着け、世界の難民キャンプを飛び回った。周囲は「日本をアピールする外交官としては二十〜三十人に匹敵する」と評価、日本人女性の国際社会進出の先駆けでもあった。

 祖父も父も外交官で、曽祖父は犬養毅(いぬかい・つよし)元首相。幼少期を米国や中国で過ごした。聖心女子大英文科の一期生で、卒業後は米国のジョージタウン大大学院などに留学、国際関係論を専攻した。一九三二年に曽祖父が軍部に暗殺されてから傾向を強めていった日本の軍国主義。研究の原点は「日本はなぜ戦争を始めたのか」との思いだった。

 三十三歳で銀行員の四十郎(しじゅうろう)氏(元日銀理事、故人)と結婚。一男一女をもうけた後も、国際基督教大で指導、研究に没頭した。

 七六年「女性も外交畑に」との故三木武夫首相(当時)の公約実現第一陣としてニューヨークの国連日本代表部公使に着任、日本初の女性国連公使に。

 九〇年には、国連難民高等弁務官の後任候補の打診を受けた。緒方さんが選ばれた理由に、関係者は「政治的な野心もなく、率直に意見を語る人柄」を挙げる。六十歳を過ぎて難民救済の道に飛び込んだ。

 「最後の点において、人の生命を助けるということ。生きていさえすれば、彼ら(難民)には次のチャンスが与えられる」。高等弁務官就任以来「日本は『人道大国』に」と訴え続けた。

 九一〜二〇〇〇年の高等弁務官在任中、イラクで迫害を受けたクルド人のキャンプや旧ユーゴスラビアなど世界各地の難民キャンプに足を運んだ。〇二年に小泉純一郎首相(当時)から外相就任の要請があった際は「難民支援のキャリアを全うしたい」として固辞。〇三〜一二年には国際協力機構(JICA)理事長を務めた。 (共同)

 

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