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【政治】

中曽根元首相 死去 風見鶏 政敵と連携

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 中曽根康弘元首相は、対米追従を批判し、憲法改正の旗を掲げて宰相の座に就きながら、在任中は改憲議論に手を付けなかった。「現実主義者」「風見鶏」と評価は分かれるが、政界引退後も改憲にこだわり続けた。有識者の諮問会議を活用して政策を実現させるなど、現在の官邸主導政治に通じる手法も採った。

 ▼青年将校

 「戦争に負けて、連合国軍総司令部(GHQ)の占領を目の当たりにして『日本を本当の主権国家にしないといけない』という気持ちで国会議員になった」。元秘書の岩井均群馬県議は中曽根氏の原点をこう振り返る。

 「軽武装、経済重視」を掲げてGHQに従う吉田茂元首相に反発。改憲や自衛軍創設を主張し、「青年将校」と称された。「この憲法のある限り 無条件降伏続くなり」。一九五六年に作詞した「憲法改正の歌」に自らの思いを込めた。

 しかし、八二年に首相に就くと一変する。「現内閣で憲法改正を政治日程にのせる考えはない」。護憲派が強かった当時の国会情勢を踏まえ、持論の改憲を封印。自身が批判した吉田元首相と同様、対米重視にかじを切り、改憲派に失望感が広がった。

 「ロン」「ヤス」。米国のレーガン元大統領とは愛称で呼び合う仲に。対米の武器輸出三原則の緩和や防衛費GNP(国民総生産)1%枠を取り払い、安全保障分野を中心に同盟関係を強めた。「日本列島を不沈空母のように強力に防衛」するとの発言が報じられ、物議を醸したのもこの年だ。

 ▼現実的

 国政では諮問会議などを設置し、有識者の助言を積極活用する「ブレーン政治」を実行。国鉄や電電公社などの民営化につながった。

 中央大の服部龍二教授(日本政治外交史)は「官邸主導政治のルーツの一つだ。トップダウンの大統領的首相を実現したが、結論ありきの審議会も少なくなく国会軽視とも言えた」と分析する。

 中曽根氏は「戦後政治の総決算」として、八四年には臨時教育審議会(臨教審)を設置し、教育改革に乗り出す方針も示したが、自民党文教族と文部省(当時)の反発を受け頓挫した。翌八五年には戦後の首相として初めて靖国神社を公式参拝。「憲法に反しない範囲」と主張したものの、翌年からは自粛した。

 ▼力学

 首相の座を退いた後も、政界に強い影響力を持ちつつ、二〇〇三年に小泉純一郎元首相による「七十三歳定年制」で政界を引退。それでも改憲の必要性を訴え続け、〇五年に自民党の新憲法草案の前文素案を自らとりまとめた。服部教授は「中曽根氏は晩年『改憲を諦めたことは一度もない』と語っていた。終生、改憲への執念を持ち続けた」と話した。

 

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