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【政治】

沖縄返還合意前「日米で核部隊を」 米高官、核撤去望まぬ軍部の本音か

1969年12月、沖縄から撤去された核ミサイル=沖縄県の米軍嘉手納基地で

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 沖縄返還合意前の一九六八年四〜五月、米国務省高官が、佐藤栄作首相の下で交渉の密使を務めた国際政治学者の高瀬保氏に対し、沖縄に陸上配備された核兵器を撤去する代わりに、日米共同で核戦力を持った海上部隊を編成するよう求め「日本はそのくらいの妥協はすべきだ」と発言していたことが分かった。高瀬氏が当時まとめた報告書に記載されていた。

 報告書は国務省の「グリーン情報調査局極東部長」による発言としている。米政府内の核撤去容認論に反発した米軍部の考えが色濃く、専門家は「ここまで日本の具体的な役割負担に触れた記録は初めて見る」と話している。報告書は個人が所有し、昨年五月に国立国会図書館に寄贈された。

 佐藤首相は六七年十一月、ジョンソン米大統領と「両三年内」に返還時期のめどを付けると合意したが、ジョンソン氏は六八年三月にベトナム戦争の泥沼化により次期大統領選への不出馬を表明した。

 沖縄は五〇年代半ばから核配備が進み、六七年には核巡航ミサイルなど約千三百発に上った。日本では当時「核抜き・本土並み」返還の世論が高まっており、佐藤首相は米スタンフォード大フーバー研究所の元研究員で安全保障が専門の高瀬氏に、ジョンソン政権後の米国の対東アジア政策動向を探らせたとみられる。

 報告書によると、高瀬氏は六八年四月二十三日〜五月一日、国務省や国防総省、海軍などの関係者らと面会した。

 このうち国務省のグリーン氏は「核は撤去し得る」と回答。ただ、返還後の沖縄に日米安全保障条約が適用されると基地の自由使用が制限され、核の再持ち込みも事前協議の対象となるため「戦争抑止力の低下を意味する。日本側の妥協が期待される」と詰め寄った。

 当時は艦船への核搭載が進み、核撤去の代わりに日米で海上部隊の編成が必要と指摘。「日本が積極的に参加し安全保障の責任を負担し合う」と提案した。

 返還交渉に詳しい九州大の中島琢磨准教授は、いずれの提案も非核三原則を掲げた日本にとって受け入れ困難だったと指摘し「核撤去を許せない米軍部の本音が分かり、興味深い」としている。

<沖縄返還> 1952年4月発効のサンフランシスコ講和条約で米国統治下に入った沖縄は、72年5月に返還された。佐藤栄作首相の政権下、67年7月から返還交渉が本格化した。沖縄から核を撤去し、日米安全保障条約に基づく事前協議制度を適用する「核抜き・本土並み」の条件で合意。69年11月に佐藤首相とニクソン米大統領が共同声明で施政権返還を発表した。その裏で、佐藤首相は有事に沖縄への核再持ち込みを認める極秘文書を交わし、米軍の日本からの戦闘作戦行動にも前向きな姿勢を示した。

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