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【政治】

<2020年 核廃絶の「期限」>「核ゼロ」世界が誓った年 「被爆者存命中に」迫る時間

2020年最初の長崎での「9の日座り込み」。被爆者らは平和祈念像の前で核廃絶を訴えた=9日、長崎市で(木谷孝洋撮影)

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 「核兵器のない世界の実現に向けた道筋を示し、二〇二〇年までに目標を達成する」

 〇三年十月、英国で開かれた平和市長会議(現・平和首長会議)の理事会。被爆地の広島、長崎両市に加え、開催地のマンチェスターやフランス、ドイツの都市が全会一致で決議した。

 決議したのは核廃絶に期限を設ける「二〇二〇ビジョン」。出席者は「核兵器で犠牲を強いられるのは都市であり、住民だ」と核使用への危機感を訴えた。

2020年までの核廃絶を求める決議をした平和市長会議の理事会=2003年10月、英マンチェスターで(公益財団法人広島平和文化センター提供)

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 広島、長崎両市が創設した会議には当時、核保有国の米ロなどを含めた百七カ国・地域の五百五十四都市が名を連ねていた。現在の加盟都市は八千に迫る。

 〇三年当時、北朝鮮が核拡散防止条約(NPT)から脱退表明するなど核を巡る状況は緊迫。「二〇二〇年」に込めたのは、被爆者が存命のうちに核なき世界を達成するとの決意だった。

 会長都市として理事会に出席した当時の広島市長、秋葉忠利(77)は「期限のない目標は夢にすぎない。現実を変えようとしたらゴールを決めて努力すべきだと考えていた」と振り返る。

 市民も「二〇年核廃絶」を訴えていた。核兵器を巡る国際情勢を調査するNPO法人「ピースデポ」(横浜市)もその一つ。特別顧問の梅林宏道(82)も「期限設定は、核廃絶の世論形成に貢献した」と語る。

 決議から十六年余。核廃絶は実現しないまま、「期限」の二〇年を迎えた。

 一月九日。青空の下、長崎市の平和祈念像の前に被爆者ら百人余りが集まり、反核を訴える「九の日座り込み」が行われていた。

 マイクを握った川野浩一(80)は、米国がイラン革命防衛隊司令官を殺害するなど緊張が高まる中東情勢について「あんな野蛮なことが許されるのか。安倍晋三首相も米国に物を言うべきだ」と呼びかけた。

 座り込みは、長崎原爆の日に合わせて毎月九日に実施。一九七八年に原子力船「むつ」が県内に入港したことを機に始まり、今年最初の今月で四百五十一回目を迎えた。

 被爆者の平均年齢は今や八十二歳を超え、ピークには二百人を超えた参加者数も先細る。川野は「いつも隣に座っていた人が来ていないと思うと、亡くなったという知らせが届く。くしの歯が欠けるように減っていく」と話す。

 川野は五歳の時、長崎市内で被爆。原水爆禁止日本国民会議議長を務めるなど、核廃絶運動を引っ張ってきた。昨年十一月には、三十八年ぶりに長崎を訪れたローマ教皇の演説を聞き、勇気づけられた一方、こう感じた。

 「自分たちの力がなくなってくると、教皇にすがるような気持ちになってしまう。話を聞いて心を打たれるだけでは何もならない」

 「ノーモア・ヒバクシャ」を合言葉に、新たな被爆者を出さないよう、自らの体験を語り継いできたが、高齢化は止めようがない。

 川野は言う。「私たちにはもう後がない。しかし、諦めるのではなく、若い人たちに思いを伝えていかなければ」  (敬称略)

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 原爆投下七十五年に当たる二〇二〇年は、世界の都市が核廃絶の「期限」とした年でもある。米ロ対立や北朝鮮の挑発などで核使用の脅威が高まる中、平和を求め、核廃絶を訴える被爆地や市民の思いを伝える。

 (この連載は、木谷孝洋、北條香子、関口克己が担当します) 

 

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