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【政治】

<2020年 核廃絶の「期限」> 犠牲者は敵でなく人間

広島市の平和記念公園を訪れ、被爆者の森重昭さんを抱き締めるオバマ米大統領(当時)=2016年5月27日(ロイター・共同)

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 二〇一六年五月の広島。オバマ米大統領(当時)が一人の被爆者を抱き寄せた。広島で被爆死した米兵を調べてきた森重昭(しげあき)(82)。現職の米国大統領初の広島訪問を象徴する場面となった。

ローマ教皇から贈られたメダルを手にする森さん=広島市西区で

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 被爆者の中には、この「和解」を過度に演出されたものと感じる人もいる。ただ、森にとっては半生をかけた活動が認められた瞬間だった。「お互いに一言も話さなかったが、気持ちは通じ合った」と振り返る。

 自身も国民学校三年の時、爆心地から二・五キロで被爆し、通っていた学校で無数の遺体が焼かれるのを見た。

 あの時、広島で何が起きたのか−。三十八歳のころ、会社勤めの傍らで調査を始めると、爆心地近くに米兵がいたことを知った。

 広島では、戦闘で墜落した爆撃機などに乗っていた十二人の米兵捕虜が被爆死している。だが、米政府は原爆で自国の兵士が犠牲となったことを公にせず、遺族にも「行方不明」とだけ伝えていた。

 森は休日を使って、米兵を目撃した人からの聞き取りや外交資料などを読み、十二人の名前や階級を特定。広島市の原爆死没者名簿に登録させた。

 難航したのが遺族への連絡だった。まだインターネットが普及していない時代で、名前だけで全米から親族を捜し出すのは困難を極めた。森は兵士の姓を手掛かりに一軒ずつ、国際電話をかけて兵士の名前に心当たりがないか尋ねた。一カ月の電話代が七万円を超えたこともあった。

 「夫や息子の最期をなんとかして遺族に知らせたかった。真実を求めて暗闇をはいずり回るようだった」。連絡が取れた遺族には遺品を送り、手紙を交換するなどして交流を深めた。

 歴史的抱擁から二年後の一八年五月、森は初めて渡米した。米兵の遺族に会うことが目的だったが、多くの遺族は亡くなっていた。ニューヨークの国連本部で開かれた、自身の活動を描いたドキュメンタリー映画の上映式では「南アフリカは核兵器の廃棄に踏み切った。核保有国は見習おう」と呼びかけた。

 昨年十一月には、訪日したローマ教皇フランシスコと面会し、功績がたたえられた。

 米兵を調べることに「敵国のために、なぜそんなことをするのか」と批判も受けたが、森は核兵器が持つ非人道性を前に敵も味方もないと言う。二〇年も、長崎で被爆し、いまだに遺族が見つからないオランダ兵の調査を続けるつもりだ。

 「私が調べているのは敵ではない。人間だ。人間として最も大切な命を守るために、私たちはどうあるべきかを、戦争の実相を通じて伝えたい」 (敬称略)

 (この連載は木谷孝洋、北條香子、関口克己が担当しました。今後も随時掲載します)

 

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