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【埼玉】

<彩の国 流転 平成いま・むかし> (1)さいたま新都心

1996年の写真と同じ場所から撮影した現在のさいたま新都心の全景。巨大なビルが立ち並び、視界を遮っている=さいたま市で

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 「平らかに成る」と平和への願いが込められた平成時代が、間もなく幕を下ろす。冷戦が終わり、バブル経済は崩壊、大震災が起き、国際化やデジタル技術の革新が進んだ30年。県内にとっては、一体どのような時代だったのだろう。新旧の写真を並べてみれば、その答えが見えてくる。

 平成とともに歩んだ二十一世紀の未来都市−。さいたま新都心の現在と一九九六(平成八)年当時の写真を見比べると、そんなフレーズがぴったりだ。九一年に着工し、二〇〇〇年に誕生。ビル群のない空き地の向こうにはJR埼京線と新幹線の高架橋がまだ見え、ここから街の風景が一変していく様子がうかがえる。

 工事が進む新都心をとらえた写真は、合併前の旧大宮市が記録用に五年間ほど定点撮影していた一枚。当時の撮影に携わった、さいたま市職員の大川原勉(つとむ)さん(55)はこう振り返る。「ここに全く新しい街が生まれるのかなと思うと、毎回ワクワクした」

 東京への一極集中が見直されつつあった時代。国鉄大宮操車場跡地に整備された新都心には、国の出先機関が入る合同庁舎が建ち、首都機能移転が期待された。結局、実現には至らなかったが、大きな病院やホテルなども新たにできた。

 中心的存在の「さいたまスーパーアリーナ」は、国際的なスポーツイベントやコンサートなどが開かれる日本を代表する一大施設に。かつて「ダサイタマ」と揶揄(やゆ)された県の印象は大いに変わってきた。

 スーパーアリーナは、一一年の東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発事故の直後、福島県民が避難生活を送った場でもある。災害の多かった平成は、避難所など万一への備えの重要性を実感させられた。

 新都心の整備と切り離せないのが旧浦和、大宮、与野の三市合併だ。新都心にふさわしい新市をつくる機運から一九九〇年代には協議が本格化したが、今も続く「浦和VS大宮」の主導権争いの影響で、結局実現したのは二〇〇一年。当時の本紙を見返すと「合併『政令市』 とん挫の危機」などの見出しが躍り、混乱ぶりが伝わる。

1996年当時のさいたま新都心の全景写真。正面に大宮ソニックシティが見える(さいたま市アーカイブズセンター提供)

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 操車場のあった旧与野市は、かつて自動車関連企業でにぎわう「自動車のまち」だったが、住宅やマンション開発が続き、その面影はほとんどない。

 「覚えている人はもう少ないのでは」。街の変遷を見守ってきた元上落合地区自治会連合会長の桜井勝さん(79)は新都心の街並みを見つめながら、そうつぶやいた。

 だが、桜井さんによると、新都心に近い上落合地区は、マンションなどの新住民でも自治会活動の参加率が高く、地域の伝統は守られているという。

 「街が変わっても、昔からの絆はこのまま変わらないでほしい」。桜井さんの願いは平成の次の時代に受け継がれていく。 (藤原哲也)

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