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【埼玉】

<彩の国 流転 平成いま・むかし> (2)滝沢ダム(秩父市)

豊かな水をたたえる滝沢ダム=秩父市で

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 奥秩父の山裾に青々とした水をたたえる滝沢ダム(秩父市大滝)。二〇〇八(平成二十)年に本格運用した水資源機構(さいたま市)の大規模ダムだ。首都圏の水がめとして、また荒川の水量の調節機能として、大きな役割を果たしている。だが、その実現には四集落の住民たちの苦渋の決断があった。

 滝沢ダムの建設により112世帯340名余が移転した。21世紀における故郷大滝村と荒川流域の発展を祈念する。 

 堤のそばの駐車場には、こんな銘文と元住民の氏名を記した石碑がある。元住民の黒沢利夫さん(71)=横瀬町横瀬=は「獅子舞に神楽。それぞれの集落に祭りがあり、助け合って生きてきたんだ」と目を細める。

家屋が解体される様子を見つめる住民たち(1990年ごろ。新井靖雄さん撮影、秩父市大滝総合支所提供)

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 一九六五(昭和四十)年、建設省(現国土交通省)による予備調査が始まった。水没や地滑り対策などで移転対象となった廿六木(とどろき)、滝ノ沢、浜平、塩沢の四集落は六九年、「反対」を掲げて対策協議会を設置した。

 「話ぐらい聞いてやっても」

 「いや、聞きたくない」

 時を経るごとに集落内には温度差が生まれていく。会議は怒号が飛び交い、けんか腰に。協議会は最終的に六団体に分裂した。ただ、県や村の仲介もあり、移転交渉は九二年に終結。住民は秩父市内のほか、川越市や深谷市などへと移り住んだ。

 手続き上の事業完了は一一年。予備調査から実に四十六年の月日が経過していた。今は絶景を一目見ようと多くの観光客が現地を訪ねるが、集落の住民の中には完成をみることなく、鬼籍に入った人もいる。

 元住民の黒沢保夫さん(69)=秩父市大滝=は言う。「亡くなった父は話していたよ。『先祖伝来の土地を手放すんだ。全国に誇れるダムにしてほしい』とね」 (出来田敬司)

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