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【埼玉】

<彩の国 流転 平成いま・むかし> (5)武蔵浦和

超高層ビルが立ち並び、様相が一変した現在のJR武蔵浦和駅周辺=さいたま市南区で

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 どんつく、どんつく、どんどんつく−。昨年十二月中旬の夜、さいたま市南区にある沼影観音堂の狭い堂内に読経と太鼓の音が響いた。お堂の外の夜空には、JR武蔵浦和駅周辺の超高層ビル群がそびえ立つ。

 この日お堂に集まったのは、沼影地区に数百年前から暮らす旧家の人たち約二十人。この地で代々続けてきた「観音講」の一幕だ。

 「私たちは守るべきことを守る一方で、時代と融合して変化することを恐れなかった。だからこそ今に続いてきたと思います」。この地で名主、村長、町長を輩出してきた細淵一族の「三本家」の一つで、二十六代目当主の細淵雅邦さん(58)は言う。

 一九八五(昭和六十)年九月、JR埼京線が開業し、武蔵野線と交差して利便性の高い武蔵浦和駅周辺には変化の波が押し寄せた。旧浦和市は八八年、個人商店や工場、畑が散在していた駅周辺約三十ヘクタールの都市再開発方針を決定。九八(平成十)年、最初の超高層ビルである「LAMZA(ラムザ)タワー」(地上二十七階)が完成した。

JR埼京線開業前の武蔵浦和駅周辺(1984年撮影、さいたま市アーカイブズセンター提供)

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 以来、平成時代に完成した高層ビルは八棟。商業・業務・住宅機能を兼ね備えた、さいたま市の「副都心」に成長した。駅周辺のマンション建設も続き、子育て世代を中心に人口が急増。武蔵浦和駅の乗車人員は二〇一七年、埼京線開業翌年の五倍に当たる約五万三千五百三十人になった。

 七九年から沼影で不動産業を営む岡部亮一さん(70)は「当時はスーパーもなく、バスで南浦和駅まで買い物に出かけていた。賃貸物件は木造平屋の二軒長屋が多かった」と振り返る。「バブル前の土地価格は三・三平方メートル当たり二十万円台だったが、埼京線開業後のバブル経済最盛期には『二百万円まで出す』と言う人もいた」と話す。

 大型商業施設がそろい、子育て世代に人気の街として、テレビの町歩き番組にも取り上げられる武蔵浦和。「新しくできた街」とのイメージが強いが、中世からの歴史と伝統を守り続けてきた人たちの土地の上にできた街でもある。

 細淵さんは関東大震災で倒壊後に再建され、国登録有形文化財となっている自宅を守り続け、見学も受け入れている。「移り住んできた人たち、次の世代の人たちに沼影の歴史を知ってもらい、残していきたい」と考えている。 (中里宏)

武蔵浦和の高層ビル群のお膝元で開かれる「観音講」。旧家の人たちが数百年にわたり守り続けてきた=さいたま市南区で

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