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【埼玉】

<彩の国 流転 平成いま・むかし> (6)秩父鉄道のSL

武甲山を背景に冬の秩父路を疾走する「SLパレオエクスプレス」(秩父鉄道提供)

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 ポーッ。県北部の山野を軽快な汽笛とともに駆け抜ける秩父鉄道の蒸気機関車「SLパレオエクスプレス」。今年「七十五歳」を迎えるC58形は一九八八(昭和六十三)年以来、延べ百六十万人の笑顔を運んできた。同社の代名詞にもなっているSLだが、かつては小学校の校庭で静かに余生を送っていたのだから驚きだ。

 最初の現役時代は東北地方の国鉄で活躍。七二年にいったん引退し、吹上町(現鴻巣市)立吹上小学校に贈られると、たちまち子どもたちの人気者になった。

 「校庭からなくなるのは寂しかったですよ。心にぽっかり穴が開いたようで」。幼少から町内で育ち、SLを見つめてきたという吹上小の寺山典子教諭は振り返る。

 現役復帰のきっかけは八八年に熊谷市で開かれた「さいたま博覧会」。集客の一環として、白羽の矢が立てられたのだ。身近な地域資源の活用が見直された平成時代の先駆けとも言える存在だった。

 復活当時、運行したのは県内の自治体などでつくる「県北部観光振興財団」だ。二カ月余りの臨時運行だったが、熱い声援を受けて、期間延長に踏み切った。秩父鉄道は運行上の安全には責任を持つが、機関士はJR東日本の社員。赤字の補(ほてん)も財団が担った。

 二〇〇三(平成十五)年、財団が解散したことで、秩父鉄道はSLの自社運行を決断。ここから徐々に「速度」を上げ始める。ヘッドマークで沿線の特産品をPRしたり、本格シェフが提供するランチを車内で提供したり。今や機関士を自社でまかない、他の鉄道会社に運転技術を教えるまでになった。

 現在は土日や祝日、夏休みなどの行楽期に熊谷−三峰口間を一往復。「都心から一番近い蒸気機関車」として、子ども連れや高齢夫婦らに乗り継がれている。

 吹上小OBというベテラン機関士の千代田昌巳さん(50)は「鉄道が好きで運転士を目指したが、まさか母校にあったSLを運転することになるとは」と驚く。その上で「走っていると沿線の人たちが手を振ってくれる。地域が元気になれば、うれしい」とほほ笑んだ。 (出来田敬司)

吹上小学校で開かれたSLとの「お別れ会」(1987年2月、同小提供)

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