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【埼玉】

川越蔵の会・初代会長可児さん死去 「観光の町礎つくった」

2010年12月、「川越蔵の会」の総務大臣表彰を報告する可児一男さん(右)。左は当時の原知之会長=川越市で

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 蔵造りの町並みで知られ、年間七百万人以上が訪れる観光地「小江戸・川越」の土台づくりに貢献した「川越蔵の会」初代会長の可児一男さん(82)が七日、亡くなった。可児さんを知る人は異口同音に「可児さんがいなければ、今の観光地・川越はなかった」と逝去を悼んだ。(中里宏)

 可児さんは三十年以上前から、川越市の一番街通り一帯の蔵造りの町並み保存や電線地中化などに尽力。会長を退いた後も、二十年にわたって市の都市景観推進団体「川越町並み委員会」の委員長を務め、提言を続けた。

 現在、観光客でにぎわう一番街は一九六〇年代には衰退し始めた。八〇年ごろには商店の蔵造りは看板で隠され、廃業して取り壊される蔵もあるなど、人通りの少ない「シャッター通り」になりかかっていた。

 そんな危機を乗り越える契機になったのは当時、市の若手職員だった植松久生さん(68)が制作したドキュメンタリー作品「まちづくり 蔵造りの明日を問う」だ。文化財の紹介用に制作を指示された広報ビデオを、蔵造りの町の現状を伝える力作に仕上げ、川崎市の「地方の時代」映像祭の自治体部門賞を受賞。副賞の三十万円を市は当初、雑収入として処理する予定だったが、植松さんや可児さんが「自然保護のナショナルトラスト運動のように、蔵造りの保存のために使いたい」と市に掛け合った。

 当時の川合喜一市長(故人)は「それなら受け皿となる団体をつくってほしい」と提案。八三年五月、蔵造り保存に関心のある商店主や学識経験者、建築家らが集まり、市民団体「川越蔵の会」(二〇〇二年にNPO法人化)が発足し、可児さんが初代会長に就任した。

 可児さんらは一九九九年に一番街周辺の約七・八ヘクタールが、改築などで制約を受ける国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された際にも、商店主たちを説得して回った。蔵の会は二〇一〇年、地域づくりに顕著な功績があったとして総務大臣表彰を受けた。

 蔵の会の第四代会長で、町並み委員会の委員長を可児さんから引き継いだ原知之さん(62)は「本当のリーダーシップを持つ紳士で知的な人。あこがれの存在だった。後継者に任せる一方、相談すると貴重なアドバイスをくれた。可児さんがいなければ、今の蔵の町の発展はなかった」と断言。落合康信現会長(代表理事)も「まちづくりのことを、たくさん学ばせてもらった。観光の町の礎をつくったのは可児さん」と話す。

 市職員の仕事の傍ら、会の事務局長として可児さんを支えた植松さんは「『まちづくりに蔵造りは欠かせない』というのが可児さんの信念だった。穏やかで芯の強い、兄のような人だった」としのんだ。

 通夜は十二日午後六時、葬儀・告別式は十三日午前十一時半から川越市小仙波786の1、川越市民聖苑やすらぎのさとで。喪主は妻昌子(まさこ)さん。

 

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