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【埼玉】

<未来に向かって 東日本大震災8年>(中)埼玉で暮らしていきたい 浪江町から避難の女性(75)

半壊した福島県浪江町の自宅の写真を手に、震災当時を振り返る女性=久喜市で

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 「原発が爆発するかもしれない。とにかく遠くに逃げろ」

 東日本大震災の直後、地元の避難所に移っていた福島県浪江町の女性(75)と長男(43)は、電力関連会社に勤める知人から電話でこう言われた。二人は周囲の人に「もっと遠くへ逃げた方がいい。元気でね」と声を掛け、急いで車を走らせた。

 いったん、同県いわき市の知人宅に身を寄せた後、久喜市に住む長女(54)宅を目指した。食べ物も着替えもなく、車中泊を繰り返すうち、親子とも口数は減り、張り詰めた雰囲気に。二週間もかかってたどり着いた時は、三人で泣いて抱き合った。

 女性にとってはつかの間の安堵(あんど)。その後は心労が重なる日々が続く。地元で車の整備士だった長男は、三年間仕事が見つからなかった。面接で掛けられる言葉はいつも同じ。「すぐに福島に帰るんでしょ」。ストレスから、人が変わったような目つきになった。

 高校一年の時に父親を病気で亡くした長男。進んで葬儀の参列者にあいさつしてくれるたくましい子だった。就職が決まらず「自分はいらない人間なのかな」とこぼす姿に、掛ける言葉が見つからなかった。

 浪江町は東京電力福島第一原発事故で一時、全域が避難区域となった。避難生活のストレスなどで亡くなる震災関連死が問題となる中、地元の知人も数人が自ら命を絶っていた。「一人にしておけない」と心配した長女が高齢者の交流会を紹介してくれ、顔を出した。

 しかし、参加者の前で避難者だと紹介されると、思わぬ言葉を掛けられた。

 「賠償金って税金だよね」

 「『ワーッ』って、その場で泣きたかった。お金では買えない、福島での普通の生活がほしいだけなのに…」。その後は避難者であることは伏せようと、交流の場は避けるように。慣れない電車で出掛ける気にもなれず、久喜市の自宅にこもりがちになった。

 転機は長男の変化だ。加須市で就職し、二年前に結婚。ようやく笑顔が戻り、自身も「いろいろあったけど、前を向いて歩いていこうかな」と思えるようになってきた。

 女性のように今も埼玉県内で生活する避難者は約三千四百人。孤立させないようにと、県労働者福祉協議会は避難者の交流会「福玉サロン」を県内各地で開いている。今年二月末、久喜市であったサロンに女性は初めて参加した。「ようやくみんなと笑顔で話せた」としみじみ語る。

 将来への不安が消えたわけではない。浪江町には年一回、夫の墓参りで訪れるが、半壊していた自宅は既に撤去された。更地となった土地の固定資産税は免除されていたが、今年から再び徴収される可能性が出てきた。収入は年金だけだ。

 それでも「つらいのは自分だけじゃない」と自らに言い聞かせている。

 今年から地域の自治会にも参加し始めた。ただ、自分が避難者だとは言えていない。「避難者としてではなく、埼玉の住民として静かに前向きに暮らしていきたいです」 (浅野有紀)

 

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