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【埼玉】

<未来に向かって 東日本大震災8年>(下)「孤立させない」思い新た 双葉町埼玉自治会長・藤田博司さん(79)

サッカー場へと生まれ変わった旧騎西高校のグラウンドを背に、思いを語る藤田さん(右)と林さん=加須市で

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 きれいに塗り替えられた校舎の壁、グラウンドに敷き詰められた真新しい緑の人工芝…。東日本大震災後、福島県双葉町が一時、役場機能を移した加須市騎西の旧埼玉県立騎西高校が今月、サッカー場へと姿を変えた。

 最大千四百人の町民が暮らした避難所でもあった同校の「転身」に、双葉町埼玉自治会の藤田博司会長(79)は「人生で一番つらかった時期を過ごした学校が生まれ変わった。私も前を向いていきたい」と感慨を覚えている。

 双葉町で生まれ育ち、地元の郵便局に勤めた藤田さん。定年後はコメの有機栽培や牛の飼育を始め、近隣住民らと「どうやったらいい肥料ができるだろうか」などと議論する日々。「やりたかったことができ、充実していた」と振り返る。

震災後、避難所となった旧騎西高校の体育館。多くの福島県双葉町民が寝泊まりした=2011年5月撮影、双葉町提供

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 しかし、東京電力福島第一原発事故で、双葉町は全町避難を余儀なくされた。手塩にかけた牛たちも置いていくしかない。「つらい、つらい思い」の中、一カ月ほど福島県内で避難生活を送った後、たどり着いたのが旧騎西高校だ。

 「故郷はどうなるのだろうか」と不安を抱えながら過ごす毎日。避難者が入れ替わるたび、教室を転々とした。床に敷かれた布団で、多くの町民と川の字で寝る生活が続いた。

 二〇一二年ごろから埼玉を中心に双葉町の自治会を作ろうという機運が高まり、会長に推された。当時は川崎市の市営住宅に移っており「何で僕なのだろう」と思いながらも引き受けた。埼玉に限らず各地に避難した双葉町民をまとめる大役だ。

 自治会員の林日出子さん(87)は「藤田さんは温厚で笑顔が絶えず、面倒見がいい」と説明。町民が各地に散る中でも「彼ならまとめられると皆が思ったのでしょう」と話す。

 責任感もあり、一四年一月に町民が多く残る加須市へと戻った藤田さん。自治会活動の中で知り合った市民からゲートボールの用具をもらい、一緒に競技を楽しむなど交流が深まった。「双葉の人たち以外とも話せたことで、リラックスできた」と感謝する。

 つらい避難所生活を送った旧騎西高校が、県サッカー協会が管理、運営する施設になり「自分の家が良くなったような気持ち」と喜ぶ。東京にいる中学三年の孫(15)が女子サッカーをしていることから「孫がここでプレーする姿を見てみたい」とも。

 もちろん、双葉町に戻りたい気持ちはある。それでも、今では「加須は第二の故郷」と思えるようになった。

 自治会員が加須市民とともに防犯の見回りをする姿を目にし「少しは会長としての役割を果たせたかな」と手応えも。これからも「つらい時期を支え合ってきた」会員が孤立しないように気を配っていくことが「私の使命」と気持ちを新たにしている。 (森雅貴)

 

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