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【埼玉】

<移住者新時代>埼玉発 「自分の味」求め手探り

採れたてのキュウリを小脇に抱える佐藤さん。「多くの人に届けたい」と意気込む

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◆農水省職員からキュウリ農家へ 小鹿野町の佐藤恒志さん(50)

 小高い秩父の山に囲まれた小鹿野町長若(ながわか)地区は、畑地に民家とビニールハウスが点在する農村だ。農業佐藤恒志(ひさし)さん(50)がハウス近くの事務室で作業をしていると、外で「チャリン」と金属音が。無人販売の店の棚から客がキュウリを買い求めている。「道を隔てた奥まった場所なのに、こうして買いに来てくれる」

 佐藤さんのキュウリづくりは今年で四年目。農家としても住民としても新参者だ。ビニールハウス七棟で栽培面積は計八百平方メートル。年間最大十七トンを販売する。だが、ここに至るまでには曲折があった。

 札幌で生まれ、千葉県で育った。一九八七年に千葉の高校を卒業後、農林水産省に行政職として入省。東京・霞が関で予算の取りまとめなどを担当した。しかし、激務で所沢市にあった公務員住宅に帰るのが午前四時になることも。男性更年期障害とうつ病を患って休職を重ね、二〇一三年に退職した。

 「じゃあ、トマトでもつくってみるかな」。家庭菜園が趣味だった父の手ほどきで心得があった野菜づくり。一四年から埼玉県農業大学校で一年間、本格的に学ぶことに。だが、いざ就農となると、壁に突き当たる。農水省退職後もアパートに引っ越して住んでいた所沢周辺に農地を求めたが、適地がなかったのだ。

 そんな折、県の担当者に紹介されたのが小鹿野でのキュウリ栽培だった。「秩父は知っているけど、小鹿野って?」。一四年七月、町内の農家の畑を訪れ、キュウリを試食した。驚いた。みずみずしく汁がしたたり落ちる。その後、しばしば小鹿野を訪れては迷いつつ、最後は心を決めた。

 小鹿野町は今、人口減少を食い止めようと、移住に力を入れている。四月一日現在の人口は一万一千五百九十九人。隣村と合併した〇五年以降、約二割に当たる三千百四十人も減った。町は首都圏の在住者らを対象に、今年二月から農園を巡る「移住就農ツアー」を開催している。

 農水省時代は全国各地の農村を駆け回った佐藤さん。コンビニが少ないなど、多少の不便は織り込み済みだった。しかし、昨秋は暑さや湿度のためキュウリが病気に侵され、収穫は上がらずじまい。一度は畑作を諦めかけた。

 それでも、思い直して前を向く。「まだまだ手探りだが、評判を聞いて買いに来たというお客さんもいる。さらに技術を向上させ、多くの人のもとに自分のキュウリを届けられたら」 =おわり

キュウリを栽培するビニールハウス。7棟で年間最大17トンを販売する=いずれも小鹿野町で

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◆取材後記

 取材の折、みそマヨネーズをつけたキュウリをごちそうになった。シャキッとした歯応えの後、爽やかな香りが広がる。「どう? この時期は本当に香りがいいんだよ」。農政のかじ取りから農の現場へと大胆な転身を遂げた佐藤さん。帽子の汗染みが誇らしく見えた。 (出来田敬司)

 

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