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【埼玉】

<ひと物語>開拓し育て「達成感」 全日本女子野球連盟副会長・浜本光治さん

「女子野球はまだマイナー。多くの人に広めたい」と話す浜本さん=いずれも加須市で

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 今年も加須市で熱戦が繰り広げられた全国高校女子硬式野球選抜大会。四月二日に決勝があり、神戸弘陵学園(兵庫県)の優勝で、幕を閉じた。今年は節目の第二十回大会で、長年かかわってきた全国高等学校女子硬式野球連盟(女子高野連)代表理事で、全日本女子野球連盟副会長の浜本光治さん(63)は「達成感がある」と喜ぶ。

 一九五六年、広島県呉市で生まれ、原爆の爪痕が残る広島市で育った。八二年に赴任した花咲徳栄高校では、男子硬式野球部と空手道部の監督を務めた。

 女子野球と出合ったのは二〇〇一年。当時の校長と理事長から、女子硬式野球部の監督になることを要請され、引き受けた。

 同部は練習試合を含めて、一勝もしたことがない弱小チームだった。グラウンドは狭く、部員たちはキャッチボールさえできないほどだったが、一生懸命な姿を見て心に火が付いた。「僕の原点は広島。(原爆で)何もないところからというのが潜在意識にある。恵まれていないところの方がやる気が出る」

 監督就任後、練習法は量よりも質を重視。体力強化のほか、打撃でミート力を高める「動作分析」など技術向上に取り組んだ。新たな手法の積み重ねが実を結び、〇六年の選抜大会で初優勝を果たした。

 実は、一回優勝すれば監督を辞め、旅行など別のことをしようと考えていた。ところが、花咲徳栄や他校の三年生から、大学進学後も野球を続けたいとの希望を聞かされた。当時、関東の大学で女子硬式野球部があるのは一校だけ。そこで、大学の女子野球の裾野を広げようと、花咲徳栄と同じ系列の平成国際大に女子硬式野球部をつくってもらい、監督に就いた。

 アジアの女子野球のレベルアップにも尽力した。〇九年に香港の女子野球関係者から招かれ、平成国際大と花咲徳栄の部員と赴き、野球教室を開くなどした。

 女子野球は「ライフワークになった」。女子高野連初代事務局長で「女子硬式野球の父」と呼ばれる四津(よつ)浩平さん(故人)の存在が大きく、その遺志を引き継いでいるという。一〇年には中学生への普及などを目的に「ユース大会」を創設。これまで高校から大学やアジアへと活動の場を広げ「何もない無から生み出すこと、子どもたちの笑顔、輪を広げていくことは喜びになる」。

 今の課題は知名度の低さだが、インターネット上に「女子野球チャンネル」を開設し、今春の選抜大会からライブ配信を始めた。「女子野球の選手のプレーを見てもらいたい。見れば素晴らしさが分かる」 (中西公一)

<はまもと・みつはる> 広島県出身。高校時代は野球部に在籍。千葉商科大卒業後に学校法人佐藤栄学園の埼玉栄高校で教職に就く。1982年、系列の花咲徳栄の開校に伴って異動、2001年、女子硬式野球部監督に就任。07年から平成国際大の女子硬式野球部監督。著書に「女子硬式野球物語 サクラ咲ク」(幻冬舎)など。加須市在住。

過去最多の出場チームの女子選手が戦った今年の選抜大会

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