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【埼玉】

江戸時代の色よみがえる 「通りゃんせ」の舞台 川越・三芳野神社、保存修理完了

保存修理で美しくよみがえった三芳野神社の外観=いずれも川越市で

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 わらべ歌「通りゃんせ」の舞台といわれる川越市郭(くるわ)町二の三芳野神社(県指定文化財)で、保存修理の竣工(しゅんこう)祭と地域住民向けの見学会が開かれた。劣化が激しかった外観の朱漆や彫刻の彩色がきれいに塗り直され、江戸時代の美しい姿がよみがえった。六月九日には市民対象の見学会がある。 (中里宏)

 神社は平安前期の大同年間(八〇六〜八一〇年)の創建と伝えられる。一四五七年、戦国武将の太田道真、道灌(どうかん)親子が神社を含む一帯に川越城(河越城)を築き、曲輪(くるわ)内にあった神社を鎮守とした。

 江戸期に入り、一六二三年、三代将軍徳川家光の命で再建されたのが現在の社殿で、幕府直営になって以降、修理と改築が繰り返された。本丸御殿のすぐ近くの城内にある神社には、幕府の重臣を兼ねた歴代藩主が多くの宝物を奉納。現在、市立博物館で保存されている。

修理前の社殿(三芳野神社修理工事委員会提供)

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 江戸の北方を守る要衝にあった川越城の警備は固く、庶民は許可がないと参拝できなかった。参拝できても、帰りには所持品を厳しく調べられたという。この言い伝えから「行きはよいよい、帰りは怖い」と歌う「通りゃんせ」が生まれたとの説がある。

 明治期以降、境内は子どもたちの遊び場となり、地域住民に守られてきた。一九八九〜九二年にも屋根のふき替えや半解体の大掛かりな修理が行われたが、漆や彩色までは費用が足りずにできなかった。

 今回の保存修理は二〇一五年十一月に着工。日光東照宮(栃木県日光市)の修理も手掛ける業者が、朱漆と黒漆を正確に塗り重ね、彫刻も鮮やかに彩色し直した。金物と呼ばれる金具類もすべて取り外して金箔(きんぱく)を押したり、敷石を直して排水を整備したりした。総工費は二億一千万円。

漆が塗り直され、金物も輝きを取り戻した社殿内部

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 修理工事委員会の事務局長を務めた森脇康行さん(69)は「正確を期すために、過去の修理状況を調べるのに時間がかかった。工期は延びたが、完成して良かった」とほっとした表情で話した。

 三芳野神社の宮司も務める川越氷川神社の山田禎久宮司は「三芳野には、美しい眺めの良い土地という意味があり、名前にふさわしい社殿が整って本当にうれしい。江戸時代は城内にあったが、今は地域の人たちに支えられて心強い」と話している。

 市民対象の見学会の申し込み方法など詳しくは「広報川越」五月二十五日号に掲載される。

修理前の社殿内部(三芳野神社修理工事委員会提供)

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