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【埼玉】

久喜提燈(ちょうちん)祭り 歴史たどる 初の本格調査 報告書に

久喜市教育委員会が刊行した調査報告書

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 勇壮なちょうちん祭り「久喜提燈(ちょうちん)祭り」として広く知られる久喜市指定無形民俗文化財「久喜八雲神社の山車行事(天王様・提灯(ちょうちん)祭)」の歴史や変遷を、市教育委員会が初めて本格的に調査し、報告書にまとめた。山車行事は人形山車からちょうちん山車へ早変わりするのが特徴で、全国的にも珍しい。三年にわたる調査を基に、その歴史が江戸時代後期までさかのぼれることが裏付けられた。 (中西公一)

 祭りは一七八三(天明三)年、浅間山の噴火で作物が全滅した際、町内で山車を引き回し、豊作を祈願したのが始まりとされる。山車行事はこれまで民俗文化財としての価値を詳細に調べたものがなく、今回は山車行事に参加している「本一」「新一」など旧町の七地区に密着し、聞き取りしたり古文書を調査したりした。

 市教委文化財保護課によると、市指定文化財の古文書を詳しく調べたところ、一八五五(安政二)年の記録で、県東部の越谷の人形屋から山車人形を調達していたことが判明。山車に関する記録としては最も古く、調査を担当した同課主事で学芸員の竹内俊吾さんは「江戸時代末まで山車行事がさかのぼれると明確になったことは大きな成果といえる」と強調する。

 ちょうちん山車の起源については、一八三九(天保十)年の記録に、ちょうちん購入の目的は不明だが、七百個以上を必要としていたことをうかがわせる記述が確認された。記録の上で明確に現れるのは一八九五(明治二十八)年で、この頃に昼の人形山車と夜のちょうちん山車という形態が整ったとみられる。

 明治期になると、山車行事を中心的に担う「若者組」が各町内に設立された。四人の「若衆頭」は選挙で選出されていた。

 大正期には、当時の新聞が山車行事の様子を伝えている。国民新聞によると、一九一三(大正二)年は電灯電話線架設のため、ちょうちん山車を繰り出すことができなくなった。

 山車人形は幕末に地元や近郊の業者に発注していたが、明治、大正期には東京に発注していたことも判明。江戸の祭礼が衰退する中、仕事が少なくなった人形師が請け負ったと推測され、近代の山車人形の製作事情を明らかにする上でも貴重だという。

 報告書は三百三ページで、カラー写真などを交えて紹介。文化財保護課の池尻篤係長は「祭りを見る前に読んでいただければ、祭りの流れが分かるので、より楽しく祭りを見ることができる」と話している。

 一部千六百円で、市教委のほか、市郷土資料館、市公文書館で販売している。問い合わせは同課=電0480(22)5555=へ。

昨年の祭りの様子。夜になると久喜駅前にちょうちん山車が集結する=いずれも久喜市で

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◆今年も12、18日

 久喜市祭典委員会が主催する久喜提燈祭りは今年も12、18日にJR・東武久喜駅西口駅前周辺で山車の引き回しがある。

 両日とも正午〜午後10時、駅前周辺道路を交通規制する。午後1時ごろから各人形山車が巡行。同4時ごろに各町内で山車の人形を撤去し、ちょうちん山車に。約500個のちょうちんを飾り付けた山車は同6時ごろから巡行し、同8時20分ごろに駅西口に集結する予定だ。

 

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