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【埼玉】

<桶川ストーカー事件20年> (上)失った笑顔、消えぬ怒り

猪野詩織さんの写真などがある部屋で、思いを語る父憲一さん(右)と母京子さん=8月、上尾市で

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 上尾市にある住宅の一室に、二十年前の事件で犠牲になった女子大学生の遺骨が置かれている。周りには、大好きだったキティちゃんの縫いぐるみ、ひまわりの花、笑顔の写真の数々。「どうしても死んだことを信じたくない」。両親は湧き上がる怒りを胸に、娘が生きた証しを示すために活動している。

 一九九九年十月二十六日、猪野詩織さん=当時(21)=は通学中、桶川市で待ち伏せしていた男に刺殺された。逮捕されたのは、元交際相手の兄や殺害の実行犯ら四人。元交際相手は逃亡先の北海道で水死体で見つかった。自殺とみられる。

 詩織さんは事件前、このグループとのトラブルに悩んでいた。嫌がらせのビラを自宅周辺に貼られ、父の憲一さん(69)の勤務先にまで中傷の文書が大量に送り付けられた。「警察は忙しい」。相談した上尾署は本格捜査に着手しなかった。

 事件から約一年後、両親の元に死んだはずの詩織さんからはがきが届いた。八五年のつくば科学万博で、七歳の詩織さんが未来の自分に宛てた手紙だ。「すてきなおねえさんになっているかな。こいびとはいるかな。たのしみです」。二人の目に涙があふれた。

 憲一さんは今も、大学生ぐらいの女性がいると「詩織じゃないか」と視線を向けてしまう。脳裏に焼き付くあのころの娘も、年を重ねていれば四十一歳。「駄目よ、飲み過ぎちゃ」と口うるさく諭される場面を思い描く。深い悲しみに襲われることは減ったが、怒りと悔しさは消えない。

 詩織さんの友人が子どもを連れて訪ねてくることもある。「生きていれば私たちにも孫がいたのかな」。母、京子さん(69)の気持ちにはうれしさと寂しさが交じる。なぜ娘を助けられなかったのか考え込んでしまう。

 二人は事件後、再発防止を訴える活動に取り組んだ。全国犯罪被害者の会(昨年解散)の中心メンバーとなった京子さんは、刑事裁判の被害者参加制度導入などに尽力した。憲一さんは数多くの講演依頼を受けてきた。

 会社を退職し、地元で子どものサッカー大会の審判をしながら暮らす憲一さんは年に数回、講演会に足を運ぶ。犯人だけでなく、捜査を怠った警察、詩織さんの名誉を傷つける報道を繰り返したマスコミへの怒りを込め、強調する。「娘は三度殺されました」

  ◇  ◇ 

 ストーカー犯罪への法整備が進む契機となった桶川ストーカー殺人事件。遺族のほか、課題を突きつけられた警察、マスコミの二十年を追った。

<桶川ストーカー殺人事件> 1999年10月26日、桶川市のJR桶川駅前で猪野詩織さんが刺殺された。首謀者で元交際相手の兄は無期懲役、実行犯らは懲役18〜15年の判決が確定。詩織さんの中傷ビラをまくなどの名誉毀損(きそん)容疑でも10人以上が逮捕された。

詩織さんが刺殺された現場を調べる県警の捜査員ら=1999年10月、桶川市で

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