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【埼玉】

最期まで地域で生きる 重度障害 川口の小松日吉(ひよし)さん(49)

介助者のサポートを受け、参加者の質問に答える小松さん=9月29日、川口市の戸塚公民館で

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 社会の理解不足や受け入れ態勢の不備から、病院や施設で長く過ごさざるを得ない重度障害者は少なくない。難病でほとんど体が動かず、三十年以上入院していた川口市の小松日吉(ひよし)さん(49)は、地域で生活を始めて十五年。「重い障害があっても地域で生きていけると社会に証明したい」と、節目を機に自らの半生を積極的に発信している。 (近藤統義)

 「地域のみんなに喜んでもらえたらと企画しました」。九月末、地元の公民館で、小松さんが移動式ベッドの上から語り掛けた。口にくわえた竹ぐしでスマートフォンを操り、完成させたスライドを上映した。

 「歩いたことがなく、ずっと車いすに乗せられていた。年々不自由になる自分の体を理解することができなかった。幼少期は諦めることだけをひたすらに学んだ」

 小松さんの体に異変が生じたのは、三歳のころ。筋力が低下していく難病の「脊髄性筋萎縮症」と診断された。両親は離婚し、祖母がいた東北地方の病院で長い入院生活が始まった。

 十二歳の時には肺炎を患い、心停止状態に。目を覚ますと気管切開され、人工呼吸器につながれていた。声も出せず、食べることもできない。毎日、独りで泣いた。

 その年、母の朝子さん(69)と九年ぶりに再会。朝子さんは「死んだ」と聞かされていた息子が生きていると知り、当時住んでいた四国から飛んできたという。

 「母が持ってきた食べ物を味見するうち、食べられるようになった。手が不自由なのに、工夫してTVゲームもできるようになった。母に諦めないことを教わり、世界が広がった」

◆「人との出会い、つながり増やす」

 体調も徐々に良くなり、二十歳で初めて飛行機に乗り、大阪を旅した。二十八歳で、蓮田市の病院に転院。コンサートや映画、買い物へと外に出る機会を増やし、自由を求める気持ちはさらに強くなった。

 障害者の社会参加を後押しする民間の「自立生活センター」の助けを借り、川口市のアパートで暮らし始めたのは二〇〇四年。食事や入浴などで、介助者による二十四時間体制のサポートを受けている。

 呼吸器のバッテリーを充電する電源を借りられなかったり、エレベーターがなかったり。外出先での苦労は絶えないが、人生の目標は明確だ。

 「たくさん出かけて、おいしいものを食べる。出会いを大切にし、人とのつながりを増やす。在宅のまま最期まで生きる」

 来年三月にはさいたま市でもスライド上映を計画する。「こんなやつが地域にいると知り、何か感じてもらえたら」と願っている。

<脊髄性筋萎縮症(SMA)> 遺伝子変異によって筋肉をコントロールする神経の働きが弱まり、筋力低下や筋萎縮が進行する国指定の難病。10万人に1〜2人が発症し、国内の患者は1000人程度と推計される。病気の進行を遅らせる新薬が開発されているが、根本的な治療法は確立されていない。

 

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