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【埼玉】

川口の高橋さん、広島での被爆証言 国立平和祈念館 ビデオ収録

証言ビデオの収録で、被爆した当時の体験を話す高橋さん(右)=蕨市で

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 全国の被爆者の体験談を映像で記録している国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市)が、蕨市内で証言ビデオの収録を行い、広島で被爆した川口市の高橋溥(ひろし)さん(80)が参加した。高橋さんは原爆投下後の惨状を「川に多くの遺体が浮く様子、腐敗した強烈な臭いが今でもよみがえってくる」と振り返った。 (近藤統義)

 「カメラのフラッシュが目の前でたかれたように、真っ白だった」。一九四五年八月六日、当時五歳の高橋さんは、爆心地から約一・五キロの自宅で原爆の閃光(せんこう)を浴びた。爆風で屋根が崩れ、生き埋めになった母や弟妹は近所の人に助け出された。

 爆心地から離れた方向へ逃げる途中、一人の女性を見かけた。焼け出されたのか、裸体をさらしていた。黒い遺体とがれきの山と化した街で、その亡霊のように白い肌が脳裏に刻まれているという。

 勤務先で被爆した父とは、数日後に病院で再会。半身やけどで、包帯に巻かれた状態だった。兄姉を含む一家八人は全員生き残ったが、後に原爆症を発症した父は白血病で亡くなった。

 終戦は避難したおばの家で迎えた。戦闘機の爆音や空襲警報がピタッとやみ、「こんな静かな世界があるのかと感じた」。高校卒業後に上京し、結婚を機に移った川口市で現在は建築設計事務所を営んでいる。

 かつては被爆体験を明かしていなかったが、十年ほど前から県原爆被害者協議会(しらさぎ会)の語り部を続けている。約一時間半に及んだ収録の最後、戦争を知らない若い世代へこう訴えた。

 「本当はこんな体験はしなくていいし、話したくもない。あってはならないこととして記憶し、穏やかな平和を保ってほしい」

 平和祈念館は本年度、高橋さんら県内在住者二人を含む二十五人の証言を収録。来年四月から館内やホームページで公開する。

 

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