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【埼玉】

江戸後期の最高番付・越谷出身の卯之助 浅草の合力稲荷神社に説明板

設置された卯之助の説明板と力石を囲む越谷市郷土研究会と浅草馬三町会の会員たち=東京都台東区浅草で

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 現在の越谷市出身で、江戸時代後期に「日本一の力持ち」と称されて各地で力比べの興行をした三ノ宮卯之助(うのすけ)(一八〇七〜五四年)。NPO法人「越谷市郷土研究会」が、功績を伝える説明板を製作し、東京都台東区浅草の合力(ごうりき)稲荷神社に設置した。浅草との縁を結んだのは、境内に残された一つの石だった。 (近藤統義)

 境内の入り口にある高さ九十三センチ、幅八十センチの石。数百キロはありそうな頑丈さだ。「力石(ちからいし)」と呼ばれ、江戸時代に寺社の祭礼などで力比べに使われたと伝わる。持ち上げた人物の名が刻まれ、「卯之助」の文字がはっきりと見える。

 いつごろ奉納されたかは不明だが、地域住民には昔から親しまれてきたという。神社の世話をしている地元の浅草馬三(うまさん)町会の渡辺繁副会長(71)は「ガキの頃、スコップで掘り起こそうとしたが、びくともしなかった」と笑う。

 町会が石の謎に迫ったのが約五年前。当時の会長が卯之助の歴史を調べていた研究会に連絡し、江戸の力持ち番付で最高位の東大関だった著名な人物だと知った。以来、顕彰への機運が高まり、昨年二月には台東区が力石の説明板を神社に立てた。

 研究会もこれを機に卯之助の存在をアピールしたいと、独自の説明板(縦約八十センチ、横約五十センチ)の設置を検討。会員から約三十万円の寄付を集め、町会の了解を得て実現した。板には、卯之助が浅草寺で興行する様子を描いた絵図をデザインした。

 研究会によると、卯之助が持ち上げたとされる力石は、越谷や浅草をはじめ横浜や大阪、兵庫など全国で四十個近く確認されている。

 渡辺和照会長(78)は「越谷の偉人を浅草で紹介できて感激している。さらに多くの人に知ってほしい」と話している。

☆印の仰向けの人物が卯之助

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