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【埼玉】

旭湯 惜しまれ77年の歴史に幕 川越唯一の銭湯 建物跡地は貸店舗に

惜しまれながら廃業した「旭湯」。最終日には常連客のほか、東京都内からも銭湯好きが訪れた=いずれも川越市で

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 川越市で唯一残っていた銭湯「旭湯」(同市元町)が二十日、常連客に惜しまれながら最後の営業を終え、七十七年の歴史に幕を閉じた。経営者の中島彰夫さん(56)は「毎日来てくれたお客さんには申し訳ないが、持病もあって続けられなくなった」と理由を明かす。昼前からモクモクと煙を上げ、町の目印になっていた煙突などの建物は取り壊され、貸店舗にするという。 (中里宏)

 旭湯は戦時中の一九四三年、祖父・吉治さん(故人)が開業。「戦中、戦後は人が重なるように湯船に入っていたと祖父から聞いた」と中島さん。

 専門学校に通っていた八二年、銭湯を廃業してアパートにする計画が持ち上がり、親族会議で中島さんが「俺が風呂屋を続けようか」と言ったところ、母・美代さん(故人)が「そうかい」と即答。二十歳の若さで、母と二人で銭湯を続けることになった。

 「なんであんなこと言ったんだろう」と今でも不思議に思っている。「それから三十六年はあっという間に過ぎた」。二〇一三年に美代さんが亡くなってからは午前九時からの燃料(パレット廃材)調達から午後十一時すぎの掃除終了まで、一人で続けてきた。

 番台では、知らぬ者同士が世間話をする裸の社交場を見守ってきた。常連客でも決して名前を聞いたりしなかった。吉治さんの「分かっていても名前で呼んじゃいけないよ。商売も聞いちゃいけないよ」という教えを固く守ってきた。

 「十年以上、ほぼ毎日通っていた」という市内の女性(84)は営業最終日の風呂を終えると、「常連さんと話をするのが楽しみだった。皆と会えなくなっちゃうと寂しいですね」と話した。

 最終日の二十日は中島さんの中学時代の同級生数人が駆け付け、二十一日未明までシャンパンを酌み交わしたという。「終わった時は感情がこみ上げるのかと思ったが、まったく普通だった。どこかで(感情の波が)来るんでしょうね」と、しみじみと語った。

 県公衆浴場業生活衛生同業組合によると、県内の銭湯はピークの昭和四十年代には四百軒弱あったが、現在は旭湯を含めて四十四軒にまで減っている。

「お客さん同士が『もう会えないね』と話すのを聞くのはつらかった」と話す中島さん

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