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【静岡】

500年もほっといてごめんね 北条早雲「没後祭」 来月1、2日

韮山城跡でイベントをPRする河野真人会長=伊豆の国市で

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 北条は小田原だけじゃない−。戦国大名の先駆けとして有名な北条早雲(そううん)(生年不祥〜1519年)の功績をたたえる「北条早雲公没後500年祭」が11月1〜2日、早雲が居城とした韮山城跡(伊豆の国市韮山)などで開かれる。副題は「ごめんね早雲」。実行委の河野(こうの)真人会長(73)は「市内ではこれまで、早雲にスポットライトを当てたイベントがなかった。500年もほっておいて申し訳ないという思い」と意図を語る。 (杉原雄介)

 駿河国(現・静岡県中部)を支配する今川氏の武将だった早雲は一四九三年、伊豆国を攻めて韮山城に入った。その後は相模国(現・神奈川県)も手中に収めたが、亡くなるまで同城を拠点としていた。

 現在、「北条」といえば、早雲の子孫が拠点とした小田原城(神奈川県小田原市)の印象が強い。韮山は、二〇一五年に韮山反射炉が世界遺産になった一方「早雲の存在がさらに忘れられた感じになった」(河野会長)。

 このため、郷土の英雄に光を当てようと没後五百年のタイミングでの催しを決意。韮山城跡の環境整備に取り組むNPO法人「韮山城を復元する会」の山下捷雄(かつお)会長(76)らに声をかけ、昨年九月に実行委を設立、早雲について深く知ることができる企画を考えた。

 来月一日は、韮山城跡で「歴史ウオーク」を行う。堀や土塁などの遺構を巡り、堅い守りを誇った城の特徴や戦国大名としての早雲の歩みを学ぶ。二日は城跡横の親水公園で早雲の法要、韮山時代劇場でシンポジウムなどを実施。静岡大の小和田哲男名誉教授が早雲の出自や韮山での業績などについて講演、小田原市などゆかりの市町の首長も訪れる予定で、地域を越えた「早雲愛」を語る。

現在は池が広がり、公園としても親しまれている韮山城跡=伊豆の国市で

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 催しの副題には「ありがとう早雲」の言葉もある。河野会長は「年貢を軽くしたり、病気がはやった時に京都から薬を取り寄せたりと、伊豆の民衆を大切にした早雲への感謝を込めた。市民が早雲を愛し全国にPRする第一歩にしたい」と訴えた。

 催しは一日午後一時半〜八時半、二日午前九時十五分〜午後四時半。無料。

 問い合わせは伊豆の国市文化財課=電055(948)1428=へ。

◆沼津は「旗揚げの城」PR

 早雲が韮山城の前に拠点としていたのが、沼津市根古屋の興国寺(こうこくじ)城だ。一四八八年ごろに同城を得たことが勢力拡大のきっかけとなったため、沼津市は「早雲旗揚げの城」としてアピール。没後五百年に合わせ、九〜十月に小和田名誉教授の講演会や興国寺城跡のバスツアーなどを企画、延べ五百人ほどが参加した。

 市文化振興課の担当者は「参加者アンケートも満足度が高く、今後もイベントを望む声が多かった」と手応えを語る。市は二〇〜二一年度に城跡の保存活用計画を定める方針。同課は「市民が歴史への理解を深める場になることを第一に、観光面での活用も視野に入れたい」としている。

<北条早雲> 出自ははっきりしないが、本名は「伊勢盛時(いせ・もりとき)」で、室町幕府の高級役人の家に生まれたという説が有力。今川氏の下で勢力を伸ばし、戦国大名として独立した。

 北条姓を名乗るのは2代目の氏綱から。北条氏は伊豆と関東の広大な地域を支配するまでに成長したが、1590年に5代氏直が豊臣秀吉に攻められ滅亡。子孫は河内国(現・大阪府)で小規模ながら大名として存続した。

北条早雲の碑がある興国寺城跡=沼津市で

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