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【スポーツ】

小笠原が引退会見 「若手がピッチに立って」

記者会見する鹿島・小笠原=カシマスタジアムで

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 今季限りで現役を引退したJ1鹿島の元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、茨城県鹿嶋市のカシマスタジアムで記者会見に臨み「ピッチの上でチームを勝たせることができなくなってきた。まだまだサッカーをやりたいのが正直な気持ちだが、もっと若い選手にピッチに立ってほしいと思った。自分が身を引く時が来た」と決断の理由を述べた。

 岩手・大船渡高から1998年に入団し、J1で7度のリーグ制覇に貢献するなど、クラブの20冠のうち17のタイトルに関わった。今後については「鹿島にここまで育ててもらったので恩返ししたい。まず、いろんなものを見て勉強したい」と話した。

◆鹿島支えた 勝負の鬼

 ファウルもいとわない泥くさいプレーに、一瞬の隙を突くスルーパス。鹿島の小笠原は勝負の鬼として恐れられた。「強い方が勝つのではなく、勝った方が強いのがサッカーだ」と、哲学を語る。J1随一のクラブの象徴は最後まで戦い抜いてスパイクを脱いだ。

 悔しさと歓喜を糧に成長した。最も印象的な場面に挙げたのは1999年のヤマザキナビスコ・カップ決勝。PK戦を自分の失敗で落とした苦い記憶だった。一方で数々の優勝を経験し「みんなと抱き合う瞬間、一番の幸せを感じた。タイトルを取り続けて強くなった」と目を細めた。

 今季はアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)で悲願の初優勝を達成。決勝は出番がなく、表彰式で仲間に強引に手渡されたトロフィーを掲げた。「実は恥ずかしくて本当に嫌で。やはり本音はピッチに立って貢献したかった」。引退の決意が固まる中、複雑な思いで歓喜の輪に加わった。

 今後は南米や欧州のクラブを視察し、幅広い見地から鹿島の強化に携わる意向を持つ。故郷の岩手県も甚大な被害を受けた東日本大震災の復興支援も続ける考えで「東北からもっとJリーガーや代表選手が出てきてほしい」と願いを語った。

 

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