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【スポーツ】

<スポーツ平成進化論>(2)サッカー男子 世界へ「出る」から「勝つ」へ

Jリーグ創設前のサッカー界について話す原博実副理事長=東京都文京区のJFAハウスで

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 平成8(1996)年のアトランタ五輪に出場して、メキシコ五輪以来28年ぶりに世界への扉を開いたサッカーの日本代表。平成10(1998)年にはワールドカップ(W杯)フランス大会で悲願のW杯初出場を果たし、4年後には韓国と共催したW杯で初の16強に進出した。平成の時代に世界に羽ばたいた日本サッカーの原動力となったのが、平成5(1993)年開幕のプロサッカー「Jリーグ」。それから25年余り。平成の歩みとともに飛躍した日本が次の時代に目指す先は。 (敬称略、唐沢裕亮)

 「W杯も五輪もアジア予選を突破できない。サッカー界として何とかしないといけない。そんな時代だった」。Jリーグ誕生以前、日本サッカー界はもがいていた。アマチュアリーグだった日本リーグ(JSL)時代、空席が目立つスタンドには「会社の同僚ら知り合いばかり」。昭和から平成にかけての苦難の時期を選手として過ごした元日本代表でJリーグ副理事長の原博実(60)は振り返る。

 未来を変えるべく、プロリーグ化に向け大きくかじを切るきっかけになったと感じる試合があるという。昭和62(1987)年10月26日、東京・国立競技場でのソウル五輪アジア地区最終予選の中国戦。引き分けでも20年ぶりの五輪が決まる大一番に主力として臨んだが0−2で敗れ、悲願はついえた。

 その2年前もW杯メキシコ大会アジア地区最終予選で韓国に敗れ、プロ化を訴える声は上がっていた。ソウル五輪の予選では、その韓国が予選不参加で「チャンスがあった」にもかかわらず五輪を逃し、プロ化を願う声はさらに高まる。「プロ化しないと日本のサッカーは変わらない。世界からどんどん離されるとサッカー界全体が痛感した」

 平成5年に10クラブでJリーグが開幕。同じ年に手にしかけたW杯米国大会出場を土壇場で逃す「ドーハの悲劇」を経て、日本は次のフランス大会から6大会連続でW杯に出場。平成8年のアトランタ五輪以降は、重たかった五輪への扉もこじ開け続ける。国際大会は「出る」ことではなく「勝つ」ことが期待されるようになった。

 Jリーグ自体はカテゴリーを拡大しながら、今年はJ1〜J3まで合わせて全国55クラブまで成長。近年は各クラブがトップチームの強化だけでなく育成にも力を注ぐ。その結果、W杯の日本代表の顔触れに変化が見え始めた。

 W杯初出場のフランス大会は高校や大学の部活出身者が占めたが、徐々にJクラブのユース出身者が増え、平成30(2018)年のW杯ロシア大会では、高校年代にユースに在籍していた選手が初めて10人になった。3年後のW杯カタール大会を目指す日本代表で中心的存在の南野拓実(ザルツブルク)や中島翔哉(ポルティモネンセ)、堂安律(フローニンゲン)もJクラブのユース出身。20歳の堂安はJ3で経験を重ね世界へと羽ばたいた。

 Jリーグから欧州に挑む日本選手が珍しくない今、「Jリーグが成長しているのは間違いない」と原は語る。さらに見据えるのは、Jリーグが「アジアのプレミアリーグ」になることという。世界最高峰と称されるイングランド・プレミアリーグに世界のトップ選手や指導者が集まるように、「アジア各国の選手や指導者がJリーグを志して集まり、激しい競争を重ねる。そこから欧州に行く人もいていい」。世界への窓口となるアジアの中心地になることだ。

 ピッチの外にも目を向ける。強化が進んだのが平成ならば、次に目指す姿は文化としてのサッカーだ。「町中の人の会話にサッカーの話題があふれる。そんなふうになれば」。平成に大きく成長した日本サッカーは、新時代とともに次のステージに向かう。

西ドイツへ渡りプレーした当時を振り返る横浜FCの奥寺康彦会長=東京都千代田区で

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◆海外進出 若手に好循環

 平成の時代は、日本選手の海外進出の歴史でもあった。日本が出場した過去6大会のW杯日本代表メンバーをみると、初出場のフランス大会は全員が国内クラブ所属だったのに対し、ブラジル大会で初めて、海外クラブ所属が過半数を占めた。昨年のロシア大会では「海外組」がメンバー23人中15人にまで増えた。

 とくに平成22(2010)年のW杯南アフリカ大会を契機に日本人選手の海外移籍が加速。大会後には長友佑都、岡崎慎司、川島永嗣らが海を渡った。昭和50年代、当時世界最高峰と称された西ドイツ1部リーグで活躍した先駆者の奥寺康彦(66)は、「技術の高さや何事にも一生懸命な日本人のメンタルが、海外の代理人から『日本にも良い選手がいるな』と注目が高まった」とみる。

 Jクラブから巣立った海外組の存在は、国内の若い選手たちに大きな刺激を与える。来年夏に迫る東京五輪に挑む世代である早大4年の小島亨介(21)=J1大分入り内定=は「(世代別代表でチームメートだった)冨安健洋(シントトロイデン)らが活躍している。自分たちにもチャンスがあると思える」。

 昨季後半、特別指定選手としてJ1名古屋でプレーした早大4年の相馬勇紀(21)は同世代の日本代表、堂安の名を挙げ「世界と戦っている姿を見て、自分も世界で活躍できるレベルまで上げたいと感じた」と意欲を燃やす。Jリーグから海外へ飛び出して活躍し、その経験を日本代表に還元する。好循環は、新たな時代も続きそうだ。

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