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【スポーツ】

<スポーツ平成進化論>(5)大リーグ 野茂が開き イチが変えた

昨年の試合で顔を合わせ、談笑するマリナーズのイチロー(右)とエンゼルス・大谷=米アナハイムで(共同)

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 野茂英雄が閉ざされていた道を切り開き、イチローがパワー偏重の価値観を変え、大谷翔平が現代野球の常識を覆した。平成の時代は、日本球界と米大リーグの距離がぐっと縮まった。平成7(1995)年に野茂が鮮烈なメジャーデビューを飾ったのを始め、20年余りの間に実に56人もの日本選手が世界最高峰の舞台を踏んだ。かつてのあこがれの場所はもはや、真剣勝負を切望する猛者が実力を試す土壌になっている。 (敬称略、中川耕平)

 平成16(2004)年10月1日、大リーグ・マリナーズの本拠地、セーフコ・フィールド(現Tモバイル・パーク)に集まった4万5000人超の視線は、一人の日本選手に注がれていた。レンジャーズとの一戦。既にマリナーズは優勝争いから脱落していたが、地元シアトルのファンはイチローが歴史を塗り替える瞬間を待っていた。

 三回、その時が訪れた。いつものようにバットを高々と掲げ、投手と相対する。6球目を中前へはじき返すと、球場を地鳴りのような歓声が覆った。ジョージ・シスラーの持つ年間最多安打記録を84年ぶりに更新するシーズン258本目の安打。普段は冷静な背番号51が熱っぽく語った。

 「これまでの野球人生の中で、最高の瞬間だった」

 イチローは平成4(1992)年、オリックスに入団した。日本球界初のシーズン200安打、7年連続首位打者に3年連続のパ・リーグ最優秀選手(MVP)−。数え切れないほどの偉業を引っ提げ、平成13(2001)年に海を渡った。当時、パワー全盛の大リーグでひときわ線の細い男がメジャーの球史に名を刻むことになり、45歳の今も米球界で戦っているとは、このとき一体誰が予想しただろうか。

 メジャー移籍当初、日本での通算打率は3割5分3厘と唯一無二の実績を残しても、米国で通用するかは懐疑的な意見が多かった。『ICHIRO メジャーを震撼(しんかん)させた男』(ボブ・シャーウィン著)によると、当時のマリナーズ監督、ルー・ピネラの開幕前の評価も「打率は2割8分から3割、盗塁は25から30、まあ点は稼いでくれるだろう」と、決して高いものではなかった。

 だが、その後の活躍は言うまでもない。日本人野手初のメジャーリーガーは1年目に首位打者や盗塁王、MVPなどのタイトルに輝き、平成16年には年間262安打。次々と記録を塗り替えることで過去の偉人に再びスポットライトを当てたのは、ベースボールではなく野球の国からやってきた一人のバットマンだった。

 在米スポーツジャーナリストの樋口浩一は言う。「イチローは打って、走って、守ってという野球の原点を米国のファンに再認識させた大きな存在だった」。30年の平成時代のほとんどをプロのユニホームを着てグラウンドに立ってきた男は、日米両国で輝きを放った。

 日本選手にとって、メジャー挑戦が夢物語ではなくなったのは平成7(1995)年だった。昭和39(1964)年から2年間、米国でプレーした村上雅則以来、日本選手として2人目のメジャーリーガーとして、野茂が大リーグへの扉を開けた。所属していた近鉄を任意引退という形で退団し、ドジャースと契約。まだメジャー移籍への道筋が未整備だった。

 それから20年以上の間、米球界へのルートが多様化したのを背景に、次々と日本選手が米大リーグの舞台に立った。野茂が渡米した2年後には、長谷川滋利が金銭トレードでエンゼルスに加入。平成10(1998)年には吉井理人がフリーエージェント(FA)権を行使して、メッツと契約した。FAによる日本人メジャーリーガー第1号となった。

 1年でも早い移籍を望む選手が増える中、近年主流になっているのはポスティングシステムだ。所属球団には移籍先から譲渡金が入るため、選手、球団ともに利益のある制度とされる。

 一方で、球界を巻き込む一大騒動になったのが田沢純一のケース。平成20(2008)年9月、その年のドラフトの目玉だった田沢が日本球界入りを拒み、メジャー挑戦を表明したことで全球団が指名を回避する事態に。これを契機に、日本野球機構(NPB)はドラフト指名を拒否した選手が海外のプロ組織を退団した場合、すぐには国内球団との契約を結べない、いわゆる「田沢ルール」を定めた。

 昨年7月には、16歳の若者が新たなメジャーへの道を示した。大阪府出身の結城海斗が、ロイヤルズとマイナー契約。「甲子園よりも米国で早く野球がしたくなった」と日本の高校に進学せずに渡米する異例の挑戦として、注目を集めた。

 この先も高みを目指し、太平洋を渡る流れは止まらないだろう。そして、イチローや大谷のようにわれわれの予想や期待を軽々と超えていく逸材が現れるはず。新たな時代を迎えても、きっと。

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◆大谷躍動、菊池も続くか

 トルネード投法で旋風を巻き起こした野茂、数々の記録を打ち立てたイチロー、ワールドシリーズでMVPに輝いた松井秀喜。平成の時代は、日本選手が次々と野球の本場のファンを沸かせてきた。

 そして、平成も終わりに近づいた昨年、メジャーの話題を平成6(1994)年生まれの青年がかっさらう。「世界一の選手になりたい」と公言する大谷だ。

 ベーブ・ルース以来となる本格的な投打の「二刀流」で投手としては4勝、打者として22本塁打。野球発祥の地でも大きな衝撃を与え、日本選手ではイチロー以来17年ぶりの新人王に選ばれた。樋口は「先発ローテーションで回りながら、打っては主軸。比較対象がベーブ・ルースしかいない時点で、すごい」と評す。日本選手がまたしても、米国を熱狂させた。

 そして平成最後の年となる今年の正月。西武の菊池雄星=写真、共同=がポスティングシステムを利用してマリナーズへ移籍することになった。「雲の上の存在」と敬意を表するイチローと同僚になり、岩手・花巻東高の後輩である大谷との対戦も期待される。日本のファンは、新たな元号となる今年も海の向こうの野球を楽しめそうだ。

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