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【スポーツ】

中沢、引退決断 横浜M・40歳元代表DF

中沢佑二

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 J1横浜Mの元日本代表DF中沢佑二(40)が、現役引退を決断したことが7日、関係者への取材で分かった。近日中に発表される。昨年8月に左膝痛などの影響で、いずれもGK以外では歴代最多だったリーグ戦連続出場記録が199試合、連続フル出場が178試合でストップ。その後の治療で、思うように回復しなかった。

 埼玉・三郷工技術高を卒業後にブラジルに留学し、1999年にV川崎(現東京V)入り。2002年に横浜Mに移り、03年からのリーグ2連覇に貢献した。04年には日本人DFとして初めてJリーグの年間最優秀選手に輝いた。J1通算593試合出場は歴代3位。

 日本代表としてワールドカップ(W杯)には06年ドイツ、10年南アフリカ両大会に出場。歴代6位タイの国際Aマッチ110試合に出場し、17得点だった。

◆故障…納得プレーできず

 「ボンバーヘッド」の愛称で親しまれた中沢が、40歳でピッチを去る。契約延長を求めた横浜Mに対し、引退の意思を伝えた。酷使した膝の痛みが悪化し、昨年9月に手術。練習復帰後も回復は思わしくなく「ジャンプもできない」と苦しんだ。常に全力で取り組む信条を守れず「納得できる状態でなければ戦えない」と潔く決断した。

 反骨心と187センチの長身を生かした空中戦の強さで、日本サッカー史に残るセンターバックにのし上がった。

 高校時代はプロになる目標が周囲に笑われるような無名選手だった。卒業後に留学したブラジルでは用具がなくなり、練習中はパスが回ってこなかった。契約がかなわず帰国すると、母校で練習した。苦難と挫折を味わいながら夢にしがみついた。年齢を偽り、後輩と出たV川崎との練習試合で得点。練習生からプロ契約にこぎ着けた。

 現役生活20年。不器用だった足元の技術は居残りのキック練習で磨いた。全体練習前の早朝の自主練習も、最後まで貫いた。食事では揚げ物を避け、酒も口にしなかった。「それくらいしないと渡り合えない。人と同じことをしたら負け」との真摯(しんし)さは、名手との評価を得ても揺るがなかった。

 プロとして生きる価値と重みを体現したディフェンダーだった。

 

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