東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > スポーツ > 紙面から > 1月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【スポーツ】

けがに泣き、力尽く 稀勢の里 引退 土俵にこだわり、代償大きく

栃煌山(左)に寄り切りで敗れる稀勢の里=15日、両国国技館で

写真

 大相撲初場所で初日から三連敗を喫した横綱稀勢の里が十六日、現役を引退することが決まった。地道な鍛錬で最高位に昇進。高い人気を誇り、重圧を背負いながら数々の熱戦を演じた。最後はけがに泣かされてきた日本出身横綱が、惜しまれながら土俵を去る。

 新横綱だった二〇一七年春場所。初日から十二連勝で迎えた十三日目。日馬富士に敗れて土俵から勢いよく落ち、苦痛に顔をしかめた。この時に左胸と左上腕に負ったけがが、結果的に相撲人生に大きな影響を与えた。

 残り二日間、照ノ富士との優勝決定戦も含めて計三番相撲を取った。その後のことも考えれば休場する選択肢もあったはずだが、場所後に横綱は振り返った。「もともとであれば、十五日間万全な状態で勤め上げるのが(横綱の)使命」。土俵の頂点に君臨する横綱として、責任を全うする道を選んだ。

 代償は大きかった。けがの回復が長引き、次の場所からの八場所連続休場や、八連敗など不名誉な記録も作った。稀勢の里の相撲の武器は、それだけで相手が倒れてしまうこともあるほどの、左からの強烈なおっつけ。そして、左差しからの寄り。たまに出場しても、その左からの攻めは鳴りを潜めていた。

 最後となったこの初場所前。稀勢の里は「だいぶ体は動いている。良い状態になっている」と話していた。虚勢だったのか、自らの状態を見誤ったのか。万全でないことを感じていながら、二年前と同じように土俵で横綱の務めを果たすと決めたのかもしれない。

 場所が始まると、初日に左を差しきれずに敗れ、その後もふがいない相撲が続いた。三日目だった十五日夜、深く理由は語らずに、「引退させてください」と師匠に伝えた。

 「けがしてすぐに、休場していれば」と言われ続けるだろう。だが、その時の出場は自ら決めた横綱としての振る舞いだった。今回もまた、力士としての闘いから去る苦しい決断をして、横綱として最後の責任を果たした。 (平松功嗣)

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報