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【スポーツ】

素直で不器用 愛された横綱・稀勢の里 モンゴル勢と名勝負

第72代横綱に昇進し、奉納土俵入りを披露する稀勢の里。左は太刀持ちの高安=2017年1月27日、東京・明治神宮で

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 日本出身横綱として、期待を一身に背負った稀勢の里が16日、引退した。恵まれた体格を生かした馬力のある相撲が魅力で、2017年初場所で悲願の初優勝を飾ると、新横綱として迎えた翌春場所で連覇を飾った。しかし、その後は左大胸筋のけがなどに苦しみ、通算800勝496敗(初場所4日目の不戦敗も含む)。32歳で力士人生に終止符を打つことになった。

 10代で頭角を現して一気に番付を駆け上がりながら、稀勢の里は大関になるのにも横綱になるのにも時間がかかった。この横綱が他の力士よりもより熱狂的に支持されたのは、苦労してもがく不器用な姿が、見る者の心を打ったからだ。

 壁になり続けたのが、モンゴル勢だった。入幕した当時に頂点に君臨していた朝青龍。その後に圧倒的な強さを示した白鵬。そして日馬富士、鶴竜。稀勢の里との覇権争いは、土俵を盛り上げてきた。

 そんなライバルたちに、引退会見で稀勢の里は、感謝の意を示した。「自分を成長させてもらったのも、横綱朝青龍関はじめ、モンゴルの横綱のおかげ」。巡業で彼らの背中を追いかけ、「少しでも強くなりたいと稽古した」と当時の心境を明かした。

 綱を張るようになる前も、その後も、どうしても「日本出身」の稀勢の里が、モンゴル勢に立ち向かうという、安易な構図に当てはめられがちだった。朝青龍や白鵬と稀勢の里が顔を合わせる一番は、いつでも異様な歓声が響いた。時にはそれが、無用な重圧にもなっただろう。だが、稀勢の里は「あの声援の中で相撲を取るということは、本当に幸せなことだった」と振り返る。稀勢の里を鍛えたのは結局、モンゴルから来たライバルたちと、ヒリヒリした緊張感の中で闘う相撲だった。

 2010年九州場所で63連勝中だった白鵬に勝ち、13年名古屋場所でも同じ横綱の連勝を43で止めたのも名シーンだ。しかし、土俵人生の中での「この一番」を問われて稀勢の里が挙げたのは、そのどちらでもなく、17年初場所千秋楽の白鵬との結びの一番だった。前日に初優勝は決まっていたが、気持ちを切らさずに大事な場面でついに第一人者を破った。愚直に駆け抜けた17年の相撲人生の集大成だった。 (平松功嗣)

 

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