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【スポーツ】

イチローの技とスピード、米に衝撃 努力の人 安打重ね

 イチローが大リーグに登場したのは21世紀の始まった2001年。当時の大リーグはパワー全盛の時代だった。1998年にカージナルスのマグワイアが史上初の70本塁打。01年にはジャイアンツのボンズが73本塁打で記録を更新し、ナ・リーグの最優秀選手(MVP)に選出された。

 その年、ア・リーグのMVPはわずか8本塁打のイチローだった。その代わり打率3割5分で首位打者、リーグ最多の56盗塁。当時歴代9位で31年以降では最多の242安打だった。テクニックとスピードで安打を重ねる。パワー野球のアンチテーゼであり、米国のファンが忘れかけていたベースボールの魅力を、極東の国から来た細身の選手が思い出させてくれた。

 日本人投手が通用することは、95年にドジャースに入団した野茂英雄の活躍で証明された。だが野手で初めてのイチローは疑問視されていた。パワーで劣る日本人は、大リーガーの速く、重く、動く球を打ち返すことはできないだろうと信じられていた。それだけに、米球界は衝撃を受けた。オールスター戦の投票ではファンからも現役大リーガーからも高い評価を受けた。

 イチローはしっかり準備をして米国にやって来た。安打を打つことに目標を絞った。四球や長打は捨て、安打にできる球は積極的に狙った。振り子打法はやめ、フォームをコンパクトにした。

 当時の投手たちは本塁打を避けることを第一とし、ゴロを打たせて単打なら仕方がないという配球だった。その点はイチローにとって有利だったかもしれない。

 長打のない打者がレギュラーでいるには、守備も走塁も優れていなければならない。イチロー自身も「僕は打つだけでなく、守れて走れなければいけない選手」と語り、守備や走塁にも磨きをかけた。才能のある者が人一倍努力をするのだから、結果が出るのは当然だった。

 ハイライトが2004年。262安打でシーズン最多記録を84年ぶりで塗り替えた。「安打をたくさん打ちたい」という目標にこだわったすえにたどり着いた一つの金字塔だった。

 もう一つの偉業が16年の米通算3000安打。米国野球殿堂入りのパスポートと言われるこの数字に近づいていたとき、遠征した各地では必ずスタンディングオベーションを受けた。

 大リーグのデビューは27歳。もっと早く来ていれば、大リーグだけで4000安打ができたのではないかと言われる。だが「日本で基礎を固めたからこそ米国でこれだけ打てた」と、日本球界への感謝も忘れない。 

  (樋口浩一)

 

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