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【スポーツ】

近藤昭仁さん死去 横浜、ロッテで監督

1996年10月、ロッテの新監督に就任した近藤昭仁さん(右)

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 プロ野球の横浜(現DeNA)、ロッテで監督を務めた近藤昭仁(こんどう・あきひと)さんが27日、敗血症性ショックのため川崎市内の病院で死去した。80歳。香川県出身。葬儀・告別式は4月1日正午から横浜市鶴見区鶴見2の1の1、総持寺三松閣で。喪主は妻由紀子(ゆきこ)さん。

 香川・高松一高から早稲田大を経て1960年に大洋(現DeNA)に入団。小柄ながら走攻守そろった二塁手として活躍し、新人だった60年は球団初のリーグ優勝と日本一に貢献。日本シリーズでは最優秀選手(MVP)に選ばれた。実働14年で通算1619試合に出場して1183安打、65本塁打、360打点、打率2割4分3厘。オールスターゲームには2度出場した。

 引退後は大洋、ヤクルト、西武、巨人のコーチを務め、93年に横浜の監督に就任して3年間、指揮を執った。97年からはロッテの監督を2年務め、2年連続の最下位だった。98年にはプロ野球記録となる18連敗を喫した。

◆奇跡を呼んだ「超二流」

1960年10月、日本シリーズの最優秀選手に選ばれた=後楽園で

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<評伝> 近藤昭仁さんの名を球史に残したのは1960年の活躍だった。この年、早稲田大から大洋(現DeNA)に入団。チームは前年まで6年連続で最下位に沈み、西鉄(現西武)の黄金時代を築いた三原脩を新監督に招聘(しょうへい)していた。

 いきなり開幕6連敗すると、控えだった近藤さんが二塁手に抜てきされる。身長168センチ、体重65キロと小柄だが強気。守備良し、勝負強い打撃、俊足、そして鋭い読みと勘の良さを生かしてチームのセ・リーグ優勝に貢献。打率は2割2分6厘ながら中身は濃かった。

 日本シリーズの相手は“ミサイル打線”の異名を持つ強打の大毎(現ロッテ)だった。結果は全て1点差でストレート勝ち。近藤さんは第3戦で九回に決勝本塁打を放ち、第4戦は五回の適時打でチームを1−0の勝利に導いた。たったの通算3安打で最優秀選手(MVP)をさらった。

 奇跡の日本一である。“魔術師”と呼ばれた三原監督の野球は「ときに応じて一流をしのぐ超二流」の選手を必要とし、その超二流の存在を示したのが近藤さんだった。初々しい若武者の躍動した姿が印象深い。

 何でもはっきり言った。自信家なのである。明るい性格で周りに人が集まった。最も驚かせたのは売り出し中のお姫さま女優北沢典子(本名由紀子)さんを射止めて結婚したこと。童顔ながら“超一流の腕”を持っていた。 (共同通信社友・菅谷斉)

 

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