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【スポーツ】

<取材ノート>亡き父の一言から飛翔 ラグビー日本代表・堀江翔太

ニュージーランド遠征の強化試合で実戦復帰した日本代表候補の堀江(左)=3月29日、ポリルアで(共同)

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 人なら誰しも、背中を押してくれた言葉があるはず。ラグビー日本代表で実績を重ねている堀江翔太(パナソニック)にとって、それは先月21日に亡くなった父慎一さん=享年64=の「行ってこい」の一言だった。

 昨秋に右足疲労骨折を負った堀江は同29日、ニュージーランドでの日本代表候補の強化試合で半年ぶりの実戦復帰を果たした。その遠征に旅立つ直前の25日の成田空港。報道陣の取材中、33歳のフッカーはわずか4日前に慎一さんが大腸がんで亡くなったことを唐突に切り出した。「ちょっと亡くなった」。いつも通りのさばけた口調で表情も柔らかかったが、続けた話に父への思いがにじんだ。

 若いころの慎一さんは着物の営業マンとして出張に次ぐ出張の日々だった。「ほとんど家にいなかった」と堀江。あまりに一緒に過ごせないから母、兄と家族3人で日帰り旅行がてら出張先へ会いに行くことも。「おやじとの思い出は本当に少ない」という。

 でも、日本代表で成功を収めるきっかけをつくってくれたのは慎一さんだ。

 帝京大4年のシーズンを終えるとニュージーランドに約1年、ラグビー留学した。卒業後はトップリーグへの道も開けていた将来を案じ反対する母に対し、慎一さんは「決めたなら行ってこい」。厳しい世界に飛び込もうとする息子の覚悟と将来を仕事に忙殺されながらも見据え、送り出してくれた。ラグビー王国で培った経験を生かし、代表の主力FWに成長。2015年ワールドカップ(W杯)イングランド大会では、南アフリカを倒す大金星を挙げた。

 慎一さんの数少ない楽しみが、堀江の活躍だった。多忙で観戦できない代わりに写真やグッズを収集。10年ほど前にがんを患い、入院生活になっても気持ちは衰えない。見舞いに来た自慢の息子が同室の患者に「堀江選手ですか?」と気付かれると目を細めた。堀江は「なかなか試合を見られなかったが一番応援してくれた」と感謝する。

 ラガーマンとしてベテランの域にさしかかり、顔付きはますます慎一さんに似てきた。「父はよく生きてくれた。頑張ってくれた」と堀江。その父が生前、心待ちにした19年W杯日本大会まで約半年。かつて「行ってこい」と背中を押され挑んだ地で、大舞台への一歩を踏み出した。 (対比地貴浩)

 

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