東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > スポーツ > 紙面から > 4月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【スポーツ】

<平成の風 激動のスポーツ界>(2)平成14年・サッカーW杯日韓大会 列島熱狂 世界への船出

W杯日韓大会1次リーグのロシア戦で、先制ゴールを決めた稲本潤一(右から3人目)を祝福する日本イレブン=2002年6月9日、横浜国際総合競技場で

写真

 「カナリア軍団」は、サンバのリズムに乗って各国のメディアが待つ試合後の取材エリアに現れた。小躍りしながら2大会ぶり5度目の優勝を自ら祝う。平成14(2002)年6月30日、サッカーのワールドカップ(W杯)日韓大会の決勝。怪物ロナウドの2ゴールで、ブラジルがドイツを退けた横浜の夜だった。

 リバウド、ロナウジーニョを加えたブラジルの「3R」は全盛期。数々の人気選手が来日し、イングランドの主将ベッカムの「ソフトモヒカン」ヘアを、若者たちがこぞってまねる社会現象も起きた。

 当時、記者は新米サッカー担当。来日が遅れる騒動で注目されたカメルーンとアイルランドが引き分けた新潟での国内開幕戦。スタジアムばかりか帰りの新幹線でも、いつまでも歌声を響かせるアイリッシュサポーターに圧倒された。4年前は欧州予選敗退。2大会ぶりにW杯を戦うチームは自分たちの誇りなのだろう。私自身、W杯のなんたるかを体感した時でもあった。

米国大会への出場を逃し、ラモス瑠偉(中)を慰めるオフト監督(右)と清雲栄純コーチ=1993年10月28日、カタール・ドーハで(笠原和則撮影)

写真

 W杯ではそれまで、開催国が決勝トーナメントに進めなかった例はない。中田英寿、宮本恒靖、松田直樹、稲本潤一、小野伸二…。8強入りした平成12(00)年シドニー五輪世代と、「黄金世代」と呼ばれた平成11(1999)年世界ユース選手権(現U−20W杯)準優勝組を中心にした、まさに機が熟した日本も、大声援に押されて初の16強入り。初戦のベルギー戦で「つま先弾」を決めた鈴木隆行はその年のJリーグで得点がなかったが、一発で評価を変え「時の人」となった。

 W杯米国大会を目前で逃した平成5(93)年の「ドーハの悲劇」、岡野雅行のVゴールで初のW杯出場を決めた平成9(97)年の「ジョホールバルの歓喜」を経て、日本は6大会連続で大舞台に立ち、次回は「8強入り」を狙う。

 ファンの目も肥え、今や日本代表に望むのは「どう勝つか」だ。戦術は進化し、人気選手だけを集めても勝てない現代サッカーを、老若男女がさながら「監督」気分で談議する。サッカーが日本中に浸透した大きなきっかけが、W杯の自国開催だった。 (上條憲也)

写真
 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報