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【スポーツ】

巧みな指導で金字塔 女子マラソン、成果次々 小出義雄さん死去

シドニー五輪で、ヒゲをそった小出監督と金メダルを手に笑顔の高橋尚子さん=2000年9月24日、五輪スタジアムで

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 <評伝>ひげを蓄えた風貌で自称「飲んべえのおやじ」。二十四日に亡くなった小出義雄さんの笑い顔は豪快そのものだったが、女子マラソンで次々と金字塔を打ち立てた指導は巧みで繊細だった。

 一九九二年バルセロナ、九六年アトランタ五輪で連続メダルの有森裕子さん、九七年世界選手権優勝の鈴木(現姓伊東)博美さん、二〇〇〇年シドニー五輪で金メダルの高橋尚子さん。三者三様の指導術を語ってくれたことがある。

 「有森の両親は教員だからね。有森が先生で俺は生徒。有森先生にその日の練習メニューを聞く。こっちはわざとだらしなくして、注意されるぐらいがちょうどいい」

 鈴木さんとは「友達同士」だった。千葉・市立船橋高では監督と選手の間柄。世界で通用する選手を育てたいと実業団のリクルートを率いた際の第一号選手で「博美とは相談しながら練習をやった」と優しい笑みがこぼれた。

 「Qちゃん(高橋さん)は逆に、することを決めてあげないといけなかった」と、小出監督が先生になった。高橋さんは初マラソン当時、監督を「おとっつぁんという感じ」と表現。九八年の名古屋国際女子マラソンを当時の日本最高で制した際には、記者会見場で監督が「お祝いだから、飲んで」と記者に缶ビールを差し出したこともある。

 女子マラソンで世界記録を出せたら「俺は引退して家業の農家をやる」と言い切ったこともあったが、〇一年に実現すると目標は五輪二連覇に。これは果たせなかったが、ビールと「かけっこ」を愛し、大きな夢を追い続けた指導者人生だった。

  (共同・中西利夫)

 

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