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【スポーツ】

豪放かつ繊細 教え子と絆 小出義雄さん死去

2001年11月、東京国際女子マラソンで10位でゴール後、小出義雄さん(右)と握手する有森裕子さん=国立競技場で

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 <評伝>「喉が渇いただろ。さあ、水でも飲みなよ」。笑いながら差し出すコップの中身は、いつも決まって酒だった。「僕も水が飲みたいなあ」と小出義雄さんは、会う度に言った。

 酒飲みが小出さんに抱く世間のイメージだった。だが、実は小出さんは長い間、一滴も酒を飲んでいなかった。正確に言えば、2011年7月からである。サッカーの女子ワールドカップでなでしこジャパンが初優勝したその日、小出さんは「僕も、もう一度世界と戦わなければいけない。だから酒はやめる」と宣言した。当時、古希を迎えていた小出さんは、身体にいささかの不安を抱えていたが、好きな酒を断ってまで前を向くことを選んだ。そんな小出さんを奪った病気が憎い。

 豪放もまた、小出さんに抱く世間のイメージだった。それは、おおむね当たっているが、実は一方で緻密、繊細この上ない人だった。オリンピックの女子マラソンで「金・銀・銅」メダルをそろえた指導者は、世界でもまれである。

 病と闘う千葉県浦安市の病院に最近、高橋尚子さんや、世界選手権の金メダリストの鈴木博美さんら教え子たちが次々と見舞っていた。小出さんは、その一人一人に「君がいて僕の人生は豊かだったよ、ありがとう」と声を掛けた。教え子たちは「私こそ、監督がいなければ今の人生はなかった。ありがとうございました」と感謝の言葉で返した。師弟の絆が途切れることはなかった。

 3月10日、名古屋ウィメンズマラソンのゴール地点、ナゴヤドームで小出さんは、初マラソンに挑んだ教え子の和久夢来(みらい)を迎えた。和久は泣きながら言った。「監督、来年ここで私もっと速く走りたい。だから、もっともっと教えてください」。「そうか、いいね、ああ、教えるよ」。そう言ってにっこり笑ったひげ面が忘れられない。

 4月15日、小出さんが80歳を迎えたその日「情熱を燃やして病と闘ってください」の思いを込め、赤い花を持って、主のいない千葉県の佐倉アスリート倶楽部を訪ねた。「さあ、水でも飲みなよ」と言って笑った小出さんは、もういない。 (満薗文博=元東京中日スポーツ報道部長、スポーツジャーナリスト)

 

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