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【スポーツ】

<平成の風 激動のスポーツ界>(3)躍進から主役の座へ 夏季五輪 メダル彩った女子選手

2012年8月7日、ロンドン五輪卓球女子団体、銀メダルを手に表彰台で笑顔を見せる(左から)福原、平野、石川=沢田将人撮影

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 平成の夏季五輪を振り返れば「女子躍進の時代」だろう。だが、平成23(2011)年から担当となった私には「躍進」の印象は薄い。既に男子をしのいで「主役」の座を奪い、日本選手団をけん引してきたイメージが強いのだ。

 レスリングで吉田沙保里が3連覇、伊調馨は4連覇を成し遂げた。平成24(12)年ロンドン五輪の柔道で唯一の金メダルを獲得したのは「野獣」こと、57キロ級の松本薫。卓球に初のメダルをもたらしたのも女子団体だった。

 卓球日本男子の倉嶋洋介監督からこんな話を聞いたことがある。ロンドン五輪から帰国した成田空港。メダルを逃した水谷隼ら男子勢の記者会見はわずか数分で「お通夜のようだった」という。その後、団体で銀メダルを手にした平野早矢香、福原愛、石川佳純がにこやかに入ってきた。華やかな雰囲気が包み、会見場がどっと沸く。男子勢はそんな光景を横目に、逃げるようにその場を後にした。

2000年9月、シドニー五輪の女子マラソンで優勝した高橋尚子(道家正幸撮影)(左)と柔道女子48キロ級で優勝した田村亮子(笠原和則撮影)

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 当時、男子のコーチを務めていた倉嶋監督は「悔しくて(自宅へ帰る)成田エクスプレスで、ほとんど泣いていた。次は絶対にメダルを取ろうと思った」。男子は女子の活躍に刺激を受け、平成28(16)年リオデジャネイロ五輪でのメダル2個へとつなげた。

 平成初期から女子選手は強烈なインパクトを残してきた。平成4(1992)年バルセロナ五輪競泳200メートル平泳ぎを制したのは、14歳の岩崎恭子。平成12(00)年シドニー五輪はマラソンの高橋尚子が陸上日本女子で初の金メダルを獲得し、柔道48キロ級では田村(現姓・谷)亮子が五輪3度目の挑戦で頂点に立った。女子アスリートは国民的ヒロインへと駆け上がった。

 新時代の到来を印象づけたのは平成16(04)年アテネ五輪。日本選手団で女子の選手数が初めて男子を上回り、金16個のうち女子が9個を獲得。以降、リオ五輪まで女子の金メダル数は男子より多い。

 一方、女子の環境面は課題を残したまま。味の素ナショナルトレーニングセンターに託児室が設置されたが、出産、育児と競技の両立は厳しい。ことし2月、松本は「野獣と子育ての両立は難しかった」と引退理由を語った。畳の外ではいつも明るく、笑顔の絶えない松本が、無念そうにしみじみ話す姿が強く印象に残っている。 (森合正範)

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