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【スポーツ】

<東京2020 まなざし>夢への選択肢、照らす 卓球・平野美宇の母、真理子さん

全日本選手権バンビの部で優勝した平野美宇(左)と母の真理子さん=家族提供

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 <平野美宇が卓球を始めたのは3歳の秋ごろ。母の真理子さんが当時、自宅2階で卓球スクールを開いていたときのことだった>

 スクールに連れてきたことは一度もないです。ただ、ドアの向こう側によく立っていました。すりガラスが縦に入っているようなドアに美宇がペタッといて、プレーの音や人の声を聞いている気配を感じているのが分かりました。そして、やりたいとせがんできたのです。

 最初は卓球台の上にお座りしたり、寄り掛かった状態でした。打つというより、マシンから出てくるボールの方がラケットに当たってくれた感じ。それでも、すでにイメージができていたのでしょうか。ラケットの角度が良く、卓球台に入れる感覚はすごかった。親子遊びの一つとして卓球があるのもいいなと思いました。

 ラリーが続くようになり、ダメ元でサーブを教えてみました。構えて、ボールを上げて、打つという流れを「じゃん」「けん」「ぽん」などの3拍子のリズムで教えたら、すぐにできた。「ママが試合に行くなら私も行きたい」との気持ちが強かったので、半年後には試合でデビューしました。

 <ターニングポイントは、小学1年生の時だった>

 全日本選手権バンビの部(小学2年以下)で優勝し、初めて自分の口から「五輪で金メダル」と言いました。美宇の4歳までの夢はアイスクリーム屋さん。5歳からはキティちゃんが大好きだったのでキティ屋さん。店員になってグッズに囲まれたいと思ったのでしょう。それまではメディアの方々に五輪のことをどれだけ質問されても、かたくなに言わなかった。だからこそ、子どもながらに相当な覚悟を持ったと驚きました。

 一流のアスリートを育てようと思ったことは一度もありません。しかし、どんな夢でも子どものやりたいことを応援しようという気持ちは持ち続けていました。「五輪で金メダル」は本人にとって、もう変わらない夢だと思いました。具体的に目指すものが出てきたので、私もサポートする覚悟を決めました。小学生のころに中国人コーチに指導してもらったり、県外に1人で練習に行かせたりしたのも、その一環でした。

 意思決定力は卓球にも必要です。そのため、普段から「練習時間はどのぐらいか」「土日はどこで練習をしたいか」といったことをできる限り美宇に決めさせていました。実際には送迎できるかどうかなど親の問題はありましたが、いくつか実現可能な選択肢も示しながら、美宇に「私が決めたんだ」という意識を持たせるようにしました。 (聞き手・磯部旭弘)

<ひらの・まりこ> 静岡県沼津市出身。山梨県中央市在住。平野卓球センターで幅広い選手層が通うチーム「平野M’s卓球スクール」の監督を務める。筑波大時代は卓球部主将。小中学校や特別支援学校で約10年間、勤務した経験を持つ。50歳。

<ひらの・みう> 山梨県中央市出身。JOCエリートアカデミー修了、東京・大原学園高卒。2017年全日本選手権女子シングルスで優勝。同年の世界選手権個人戦女子シングルスで銅メダル獲得。日本生命。19歳。

 

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