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【スポーツ】

<マラソン交差点・下>服部と井上 一流の練習 求道の先に

2018年12月、福岡国際マラソンで優勝した服部勇馬=平和台陸上競技場で

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 昨年12月の福岡国際を制した服部勇馬(トヨタ自動車)と昨夏のジャカルタ・アジア大会覇者の井上大仁(MHPS)。接点のなかった2人が交差した時がある。服部は本物のマラソンランナーとは何かを知った。 (森合正範)

 「35キロの壁」に苦しんでいた。東洋大時代、箱根駅伝の「花の2区」で名をはせた服部は、2016、17年の東京と18年5月のプラハの計3度のマラソンで、終盤になると失速。思い描く走りができなかった。

 18年の梅雨時は、心の中でも雨が降っているような時期だった。所属の佐藤敏信監督から声をかけられる。

 「良いきっかけになると思うから、日本陸連のマラソン合宿に行ってみたらどうか」

 同年7月1日から28日まで。米コロラド州ボルダーの合宿に参加することを決めた。

 メンバーは服部を含めて5人。そこで常に先頭を走っていたのが2月の東京で2時間6分54秒を記録した井上だった。40キロ走を黙々とこなし、気温34、35度の中で1キロ10本や5キロ3本をレースと同じペースで走ることも。酸素の薄い高地であろうが、井上には関係なかった。

 服部は初めてトップ選手の練習を目の当たりにした。「そこまでやるのか」。驚きが胸に迫る。自分を見つめると、井上ほどのスタミナも脚の強さもない。各自の走り込み練習で、いつも一番早く帰って来るのが服部だった。井上は20分後も30分後も走り続けていた。「自分の考えが甘かった。走行距離だったり、1日のコンディションづくりだったり。やっているつもりだったけど、怠っていたんだなと。こうすればマラソンを走れると分かった」。井上と交差した1カ月弱。服部のマラソン人生は大きく変わった。

ジャカルタ・アジア大会で男子マラソンを制した井上大仁=2018年8月25日、ジャカルタで(潟沼義樹撮影)

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 昨年8月末、井上は蒸し暑いジャカルタ・アジア大会で日本勢32年ぶりの金メダルを獲得。一方の服部も舵(かじ)を切った。「(井上の)練習のレベルに達すれば2時間6分台、7分台が見えてくる」。12月の福岡国際に向け、40キロ走をこれまでの2〜3回から6〜7回へ。月間走行距離も300キロ増やし、1000キロに到達した。その結果、懸案の「35キロの壁」を打ち破り、2時間7分27秒で日本勢14年ぶりの優勝を飾った。

 15日のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)へ、服部は7月に標高2000メートルの米ユタ州パークシティーで45キロ走を行うなど、月間1000キロ以上走り込んできた。「マラソンは100パーセント練習をこなさないと結果が出ない。そのことを意識してやってきた」。井上は再びボルダーに渡り、昨年同様の練習を積んだ。成長の証しというべきか、今年の方が余裕があったという。「自分が一番強い」と自信がみなぎる。

 成長を遂げ、勲章を手にした2人。1年2カ月の時を経て、今度は優勝候補として交差する。

<服部勇馬(はっとり・ゆうま)> 宮城・仙台育英高、東洋大出。2014年には30キロで1時間28分52秒の日本学生記録を樹立。トヨタ自動車。25歳。新潟県十日町市出身。

<井上大仁(いのうえ・ひろと)> 長崎・鎮西学院高、山梨学院大出。2017年世界選手権男子マラソン代表。箱根駅伝は4年連続で走る。MHPS。26歳。長崎県諫早市出身。

 

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