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【スポーツ】

<ラグビーW杯>「平尾さん見てくれている」 世界挑戦、復興の志 関係者の胸に

山口良治さん(中)と生前の平尾誠二さん(右)。左は現日本代表の田中史朗選手=山口さん提供

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 ラグビーのワールドカップ(W杯)が、20日に開幕する。大会を心待ちにしていたのは「ミスターラグビー」と呼ばれ、2016年に53歳で死去した平尾誠二さん。第1〜3回のW杯に出場し、1999年には監督として日本代表を率いた。「雲の上から見てくれている」。偉大な先達の志は、大会を控えた関係者の胸に今も残る。 (海老名徳馬)

 京都・伏見工高(現京都工学院高)で平尾さんを全国制覇に導いた山口良治元監督(76)は、二〇一五年W杯イングランド大会を、現地で一緒に観戦するはずだった。だが出発の前日に「急に入院することになった」と連絡を受け、計画は流れた。山口さんは、平尾さんが十五歳の頃から「捕まるな。ボールを持って逃げろ」と教え続けた。つぶしに来る相手から逃げてけがを避けるため。大切に育てた才能は開花した。だが最後は教え子に先立たれた。故人をしのぶ集いでは「親よりも先に死ぬなという大事なことを教えていなかった」と声を震わせた。

 W杯では東日本大震災の被災地、岩手県釜石市の釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムでも二試合が行われる。平尾さんは大会の誘致に一役買った。一一年七月、神戸でのイベント。元日本代表の松尾雄治さん(65)が「釜石でもW杯をやりたい」と提案した。被災直後で復興の道筋も見えない時期だったが、平尾さんは「僕も絶対に見に行きたい」とすぐに呼応。松尾さんは「神戸も震災で大変だった。釜石も復興できればという思いだった」。二人のやりとりは、どんどんと周囲を巻き込んで現実になった。

 平尾さんは日本のラグビーを世界レベルにする夢を持ち続けた。神戸製鋼でともにプレーした元木由記雄さん(48)は「世界トップのクラブチームに肩を並べたいという考えを共有していた」。ニュージーランド出身のアンドリュー・マコーミックさん(52)を外国出身選手として初の日本の主将に起用した監督も、平尾さんだった。

 アジア初のW杯が、いよいよ始まる。日本ラグビー協会の岩渕健輔専務理事(43)は「(困った時に)平尾さんだったらどうするか、と誰もが考える」。薫陶を受けた関係者が大舞台を整え、桜の戦士が世界に挑む。

現役時代の平尾誠二さん=1995年

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