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【スポーツ】

<東京2020 ともに輝く>(11)広瀬順子☆夫・悠 「楽しく稽古」合言葉に飛躍

試合を終えた悠(右)に声を掛ける順子=講道館で

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 重圧がのしかかる。2017年10月。視覚障害者柔道女子57キロ級の広瀬順子(29)はウズベキスタンの国際大会ですくみ上がっていた。前年のリオデジャネイロ・パラリンピックで銅メダルを獲得してから、初めての大会。「銅以上を取らないと」「勝たなきゃ」。初戦の開始早々、畳にたたきつけられ、一本負け。肩を落として引き揚げた。

 選手として同じ大会に参加していた夫の悠=はるか=(40)は、一部始終を見ていた。心を乱されている妻を見かね、声をかけた。「負けて周りから何と言われても死ぬわけじゃない。負けていいから、そんなに気を張らず、気楽にやろう」

 順子は生真面目でプレッシャーを感じやすい性格。周囲からの激励を受け、必要以上に自らを追い込んでいた。「負けていい。そう言ってくれたのは悠さんだけだった。おかげで吹っ切れた」。半年後、国際大会を初制覇。さらにその半年後のジャカルタ・アジアパラ大会で銅メダルに輝くなど、安定した強さを見せている。

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 初めて夫の言葉に救われたのは、結婚に合わせて松山市で一緒に練習するようになった15年冬にさかのぼる。同じ視覚障害者柔道男子90キロ級の選手で一回り近く年上の悠は、妻がいつも苦しそうに稽古する姿を気に留めていた。

 この頃の順子は、厳しい稽古に明け暮れた高校時代の記憶を引きずっていた。山口県の強豪校で、少しでも笑えば「歯を見せるな」と叱られる「すごくしんどい柔道」。大学に進み、病気で視野の中心が欠けて視力が下がり、一時的に競技を離れても意識は変わらなかった。30分前に練習場に入って深呼吸しないと稽古に臨めない。大会では試合前に吐きそうになり、何度もトイレに駆け込む。柔道に心をすり減らされているような状態だった。

 順子とは正反対に楽観的な悠。約1年の交際を経て結婚した夫は「そんなに思い詰めてやっても強くなれない」と直言した。それからは「楽しい柔道」が夫婦の合言葉となった。

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アジアパラ大会女子57キロ級3位決定戦で相手選手を攻める広瀬順子(右)=2018年10月、ジャカルタで(共同)

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 「稽古はしんどいもの。どうせなら楽しくやろう」。練習量を落とすことなく、互いに声を掛け合い、どちらかのモチベーションが落ちたと感じた時は、もう一人が鼓舞する。悠は「二人の方が集中力が増し、技術がより身につく」と意図を明かす。

 世界ランキング7位で挑んだリオ大会の銅メダルは順子にとって望外だった。その分、メダリストの肩書がもたらすプレッシャーに苦しんだ。だが、今は「楽しい柔道」に引き戻してくれる伴侶がいる。最近、順子は畳の上で柔らかい笑顔を浮かべるようになった。もちろん、内には闘志を秘める。

 「もう丸ごと悠さんの考え方を取り入れている。思い詰めずに気楽にやる方向に変えたら、練習通りの実力を試合で出せるようになった」

 順子は世界ランク2位につけており、東京パラリンピック出場は確実。悠も国内トップの座を守る。「夫婦で出場して、自分は金メダル」。それが順子の夢。悠は実績から見てメダルに届かないかもしれないが「初老なりに頑張る」とほほ笑み、続けた。「順子さんに金メダルを取らせて、ぱーっと花を咲かせる準備はできている」=敬称略 (兼村優希)

<ひろせ・じゅんこ> 小学5年で柔道を始め、山口・西京高時代には全国高校総体に出場。京都・花園大1年のときに膠原(こうげん)病の一種「成人スティル病」の合併症で両目の視力が0.1未満に低下し、視野が欠ける。2012年に視覚障害者柔道に転向し、16年リオデジャネイロ・パラリンピック女子57キロ級で銅メダルを獲得。得意技は背負い投げ。伊藤忠丸紅鉄鋼所属。山口市出身。

 

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