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【スポーツ】

高木守道さん死去 宿敵と「10・8」決戦采配

1994年の10・8決戦で指揮を執った中日の高木守道監督

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 現役時代は堅守巧打で中日の顔として活躍した高木守道さんが17日、78歳で死去した。2度の監督時代は宿敵巨人を追い詰め、仕留めきれなかった「ミスター・ドラゴンズ」。さまざまな記憶をファンに残した。 

 華麗なバックトスと並び、高木守道さんを振り返る上で避けて通れないのが、26年前のあの夜。史上初、同率首位同士が最終戦でシーズンの雌雄を決した「10・8決戦」だ。

 相手は「ミスター」こと長嶋茂雄さんが率いる巨人。敗軍の将となった「ミスター・ドラゴンズ」が引きずる濃い影は、平成の世が過ぎても忘れ去られることはない。

 「特別なことはせず、これまで通りの戦い方をするのが私の考えだった」。生前、高木さんが語っていた起用が明暗を分けたとされている。巨人が槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄の先発3本柱をつぎ込んだのに対し、中日は先発今中慎二の降板後、山本昌や郭源治を投入せずに敗れた。

 「今思えば、どんどん投手をつぎ込むことはやらないといけなかった」。宿敵を球界の盟主とする視点に立てば、その引き立て役を演じなければならなかった、あの日の名古屋の落胆はとてつもなく深い。

 そんな物語に異を唱えたのが、待っていた登板がついにやって来なかった山本昌さんだ。「勝っていれば、高木さんの平常心が、すごく評価されていたのかもしれないのだから」

 10・8とは何だったのか。「私が勝って優勝していたら、私の野球人生、監督人生も変わっていただろう」と高木さんは話した。最大10・5ゲーム差を縮め、運命の一戦に持ち込んだ。

 2度目の監督就任だった2012年、2位から進んだクライマックスシリーズファイナルステージでも3連勝し、巨人を追い詰めた。結局、通算5年余りの監督生活で日本シリーズにはたどりつけなかった。

 猛烈な追い上げ。そして、及ばなかったあと一歩。鮮明なコントラストを描いた指揮官人生。それは華やかだった現役時代よりも、ひょっとしたら人々の記憶に深く刻み込まれているのかもしれない。 (高橋隆太郎)

1978年8月の大洋戦、8回表2死一、二塁、中前へ抜けようかという打球を捕球し、そのまま二塁ベースカバーの遊撃手にグラブトスする高木=いずれもナゴヤ球場で

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