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【スポーツ】

竜戦士「見守ってくれたら」 高木守道さん死去

1963年10月、巨人・長嶋のタッチをかいくぐり三盗を成功させた高木守道

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 野球殿堂入りしたプロ野球中日の名選手で監督も務め、17日に78歳で死去した高木守道さんの訃報を受け、中日の現役選手や球界関係者らから18日、驚きと悲しみの声が広がった。

 大阪府貝塚市内で自主トレーニング後、取材に応じた高橋は「僕がドラゴンズに入ったのは守道さんのおかげ。最近は話す機会はなかったけれど、陰ながら応援してくれていたと思う。何とか、頑張ります」と言葉を選びながら恩返しの決意を口にした。

 2011年秋のドラフト会議。3球団競合の末、2度目の監督就任を果たしたばかりの高木さんが、くじを引き当てた。次世代の中軸を担うと信じ、高卒1年目から41試合に起用。自らノックバットを握り、ロングティーのトスをして成長を促した。高橋は「実力がないのにずっと使ってくれて、経験を積ませてもらった」と、自身初のベストナインに輝いた昨季の礎となる新人時代を、感謝とともに振り返った。

 高橋と練習をともにする大島は、第2次政権が始まった3年目に初めて規定打席に到達した。「あのとき、やっと芽が出たという感じだったので、感謝している。今季の戦いを天国で見守ってくれたら」とかけられた期待に報いる成果を誓った。

 一方、現役時代の高木さんと同じ背番号1を付ける京田は、ナゴヤ球場で「新聞を見てすごい選手だったとあらためて感じた。守道さんに失礼のないように、この背番号に恥じないように、活躍したい」と力を込めた。

◆与田監督「熱かった」

 与田監督は「選手時代には監督として大変お世話になりました。非常に熱い監督で、しかられながらも試合に使っていただき、感謝しています。突然の訃報に驚きましたが、心からご冥福をお祈りしています」と球団を通じて弔意を表した。

 高木さんが指揮官に就任した1992年は、与田監督の現役3年目。その年は41試合に登板し23セーブを挙げたが、新人時代からの負担が積み重なった肩や肘の痛みから、登板数が減少。95年に高木さんが去り、翌年途中に与田監督もロッテへ移籍した。

 昨年8月25日、広島戦が行われたナゴヤドームへ高木さんが姿を現した。あいさつに駆けつけた与田監督は、巨人と雌雄を決した94年の最終戦を振り返り「10・8は戦力になれず、申し訳ありませんでした」と頭を下げた。

 高木さんは、与田監督に打撃練習中のケージ裏へと促されても固辞。自身に注目が集まることを避けるように、通路奥へと消えた。

◆長嶋元監督「10・8忘れられない」

 巨人の長嶋茂雄元監督(83)は「監督時代は何といっても、互いに死力をつくした1994年の10・8決戦です。巨人の胴上げをじっと見つめていた表情は忘れられません。野球界にとって貴重な人材を失い、残念です」と談話を発表した。

 長嶋元監督は立教大の学生時代、県岐阜商高の高木さんを指導したことがある。

 当時のことを「守備がうまく、足も速くてすごい選手がいるなと思ったことを今でも覚えています」と語った。

 

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