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【栃木】

<11日に考えた>故郷浪江の姿 伝え続ける 那須塩原に移住・管野さん

「家を追われた立場として、町の変化する様子を伝え続けたい」とカメラを手にする管野千代子さん=那須塩原市で

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 「家を追われた立場として、町の変化する様子を伝え続けたい」。東日本大震災による東京電力福島第一原発事故で、福島県浪江町からの避難を余儀なくされ、四年前に那須塩原市に移り住んだ管野(かんの)千代子さん(73)は、今も毎月、浪江町に向かい、変わりゆく故郷の姿を写真に収めている。「被災者じゃなければ分からない痛みも多い」と力を込める。 (原田拓哉)

 内科医の夫(72)が勤務していた病院の解体現場、田んぼの前に高く積まれた除染土を包んだ緑色のフレコンバッグ、帰還困難区域で荒れ果てた田んぼ…。故郷のありのままの姿を被写体に、シャッターを切る。自宅には写真を納めたアルバムが山積みされている。

 浪江町の自宅は原発からわずか約八キロしか離れていなかった。

 「原発が危険な状況です。避難してください」。震災翌日、町の広報車が何度も何度も巡回し、町民に呼び掛けていたことを今も覚えている。

 三人の子供はすでに独立して自宅を離れていた。夫婦で夫の実家がある相馬市や福島市など、福島県内各地で避難生活を続けた。「もう、浪江に戻ることはできない。どこかに生活の拠点を見つけないと」。新天地を求め、宮城県などへ出掛けた。

 趣味の登山が楽しめる那須岳や日光連山、会津の山々に近い那須塩原市に四年前、自宅を構えた。自然が豊かで落ち着いた風景も夫婦で気に入った。

 写真は、子育てが一段落した四十代からアマチュアカメラマンに技術を学び、各地に撮影に出掛けた。カメラメーカーが主催するコンテストで数多く入選する腕前にまで上達した。

 原発事故で全村避難となった飯舘村も作品のテーマの一つだった。大根を干すお年寄り、川遊びする子供たち、村を挙げての運動会、秋祭り…。どれも笑い声がはじけていた。

 村に通いだしてから半年後に、事故が発生。あの時の風景はもう見られなくなった。

 震災翌年、避難先だった福島市で「飯舘村の暮らし」と題して写真展を開き、大きな反響を呼んだ。その後、東京・新宿、仙台市などでも写真展を重ねた。

 「原発事故後、プロの写真家たちが大勢、福島にやってきたが、飯舘村で事故前の普通の暮らしをまとめて撮った作品はない。貴重なものだと思った」と振り返る。

 避難生活を送っていた当時から、浪江町には足を運び、写真を撮り続けている。町の中をさまよう牛や飼い主を失った犬、猫たちの姿が目に焼き付いている。

 「原発事故も収拾の見通しすら立っていない。震災、津波だけでなく、原発事故を風化させないためにも、記録を残していくつもりです」

帰還困難区域で荒れ放題となった田んぼ。2018年4月に浪江町酒井地区で撮影した(管野千代子さん提供)

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