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【東京】

<東京人>反骨の多摩、武蔵野 周縁から生まれる文化

右から赤坂さん、吉増さん=学習院大目白キャンパス構内で

写真

 詩人の吉増剛造さんは、一九三九年に阿佐谷で生まれ、福生で育ちました。父親は昭和飛行機(現在の昭島駅北側に飛行機をつくる東京製作所があった)のエンジニア。零(ゼロ)戦の製造に携わっていたそうです。戦時中は和歌山に疎開。戦後、福生に戻りました。横田基地の滑走路をつくるために、米軍のトラックが多摩川から砂利を運んでいた――。その光景が、吉増少年の目に焼きついているといいます。

 東北学に続き、武蔵野学を立ち上げた民俗学者の赤坂憲雄さん(学習院大学教授)は、一九五三年に府中で生まれました。化石少年で、府中の浅間山(せんげんやま)にあった防空壕(ごう)跡のようなところに、よく化石を掘りに行ったそうです。

 戦前から戦中にかけての多摩、武蔵野は、多数の軍事施設が連なる軍都でした。戦後、これらの施設は米軍に接収され、米軍基地や米軍ハウスが置かれました。二人の少年は、その濃密な戦争の影を感じながら育ったのです。

 「東京人」五月号では、そんな両氏の対談が実現。「東京」でもなければ「地方」でもない。巨大都市の郊外で、<中央>と一定の距離を保ちながら育まれてきた独自の文化・思想と、その可能性とは何か。両氏がすくいとる戦中・敗戦直後のまちの感触を頼りに、明治の詩人北村透谷も壮士として参加した自由民権運動や五日市憲法、さらには江戸期以前の朝鮮半島からの人の流れにも注目しながら、多摩、武蔵野の文化の源流を探ります。

 (「東京人」編集部・山上さくら)

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 「都市を味わい、都市を批評し、都市を創る」をキャッチコピーに掲げる月刊誌「東京人」の編集部が、5月号の記事をもとに都内各地の情報をお届けします。問い合わせは、「東京人」編集部=電03(3237)1790(平日)=へ。

 

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