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【東京】

<東京人>反骨の多摩、武蔵野 昭和記念公園に眠る歴史

米軍立川基地にあった映画館。中央が50年前の大ケヤキ(提供・MikeSkidmore)

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 昭和記念公園のシンボルである、みんなの原っぱの大ケヤキ。この大ケヤキの下から、座布団一枚ほどの古いコンクリートの塊が見つかりました。その正体は、米軍立川基地時代の建物の残滓(ざんし)――。

 大正から昭和時代にかけて、この地には旧日本陸軍の航空技術研究所がありました。日本の頭脳集団が結集した軍事施設で、大ケヤキから真東へ百メートル先の場所には、実物大の飛行機の流体試験を行う巨大な風洞棟もありました。終戦後は米軍に接収され、米軍立川基地が置かれます。敷地内には六百棟を超える建物がひしめき、風洞棟は改造され映画館となりました。

 広大な立川基地の跡地の一部が整備され、国営昭和記念公園として開業したのが一九八三年。背景には、五五年から六〇年代にかけて、住民と学生、労働者が団結して展開した、砂川闘争がありました。核開発競争が激化し、朝鮮戦争へと突入。立川基地からも、朝鮮やベトナムの戦地へ飛行機が飛び立っていた時代に起こった闘争により、米軍は撤退を余儀なくされたのです。

 造園にあたり、下層には米軍の建物の残滓が、上層にはそのころ開発が進められていた多摩ニュータウンの開削土が使用されました。開園から数十年がすぎ、表土が痩せてこの米軍の建物の残滓が顔を出したのです。

 こうした歴史の残影をたどるツアーが、砂川の住民団体「砂川平和ひろば」により企画されています。今年の秋には公園の東地区を歩く予定です。(張大石) 

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 「都市を味わい、都市を批評し、都市を創る」をキャッチコピーに掲げる月刊誌「東京人」の編集部が、5月号の記事をもとに都内各地の情報をお届けします。問い合わせは、「東京人」編集部=電03(3237)1790(平日)=へ。

 

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