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【東京】

<まちのおもしろミュージアム>(3)土方歳三資料館(日野) ここで育ち ここで暮らす

歳三の遺品を展示する資料館を運営する土方館長=日野市で

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 新選組副長土方歳三(一八三五〜六九年)の息吹を伝える私設資料館は、日野市石田の生家跡に建つ。今年は没後百五十年。注目を集める今でも、付近は田畑が点在するのどかな住宅地だ。姉の嫁ぎ先で、剣術の道場があったJR日野駅そばの旧日野宿辺りとは、同じ市内でも趣が異なる。「江戸に行くのも大変な農村だったんだなあと感じてもらえれば」。歳三の兄から数えて六代目で、二代目館長の土方愛(めぐみ)さん(47)は語る。

 ワンフロアの展示室に歳三ゆかりの約七十点が並ぶ。新選組の名を世に知らしめた池田屋事件で使った鎖帷子(くさりかたびら)(防具)や「誠」の字が入った新選組の袖(そで)章(現在の腕章)などが目を引く。五月二十六日まで期間限定で公開している市文化財の愛刀「和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)」は、柄(つか)の部分がすり減り、実戦の傷も残る。愛さんは「最後まで歳三さんの命を守った」と思いを寄せる。

 刀は歳三が函館で戦死した後に戻ってきたが、その経緯は明らかになっていない。運んだ人がとがめられるのを恐れ秘されたためという。

歳三の愛刀「和泉守兼定」(土方歳三資料館提供)

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 歳三の戦死を伝える手紙に目を転じる。斜めに走り書きされ、慌てて書かれたことがうかがえる。だが、戦死して数年後、細かく折り畳み、着物の内襟に縫い付けて隠して届けられた。これも同じ理由とされる。

 今でこそドラマやゲームでヒーローのように描かれる新選組だが、新政府に盾突いたとして不遇の時代が長く続いた。展示品はそんな時代も土方家が代々、大切に伝えてきたものだ。

 資料館入り口の梁(はり)は、一九九〇年の建て替えまで兄の子孫が暮らした生家の大黒柱。歳三が相撲の張り手のけいこをした辺りを、下から眺めることができる。庭には歳三が十七、八歳のころ「武人となりて名を天下に挙げん」と言って植えた矢竹が茂る。展示品の中には、土方家が副業で作っていた家伝の薬「石田散薬(いしださんやく)」の行商時に背負った薬箱など、日野での暮らしを物語る道具も含まれる。

 財政的にも人手の面も厳しい中で愛さんは、二十五年前に母が開設した資料館での遺品公開を続けている。「大きな資料館でスポットライトを浴びるより、歳三さんが育った場所に歳三さんが使った物が、文化財とならない民具でも一緒にまとまってあることに意義がある」と考えるから。「訪れた人には、歳三さんがここに暮らしていたことを実感して、思い出をつくって帰ってほしい」と願う。 (松村裕子)

 日野市石田2の1の3。多摩モノレール万願寺駅から徒歩2分。通常の開館は毎月第1、3日曜の正午〜午後4時。30日〜5月6日、11、12、19、26日は開館し、午前11時から。入館料は一般500円、小中学生300円。問い合わせは資料館のホームページから。

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