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【東京】

三鷹事件 再審請求棄却 落胆する目撃者、支援者

無人の電車が暴走した三鷹事件の現場(1949年7月)

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 七十年前に旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走、脱線して六人が死亡し、約二十人が重軽傷を負った「三鷹事件」。東京高裁が七月三十一日、竹内景助元死刑囚の長男(76)の再審請求を退けたことに、数少なくなった目撃者や地元支援者の間では落胆の声が広がった。 (花井勝規)

 一九四九年七月十五日午後九時二十三分(夏時間)、七両編成の無人電車が時速六十キロ超でホームの車止めを突き破り、駅構外へ飛び出して駅前交番や民家に突っ込んだ三鷹事件。

 当時、三鷹駅ホームにいて、電車の進入から脱線までの一部始終を目撃した元朝日新聞記者の堀越作治さん(89)は「当時の裁判は多くの問題をはらみ、真相究明の第一歩になることを期待していただけに残念だ。日本の裁判制度の壁の厚さを感じる」と語った。

 堀越さんは当時、一橋大一年生で小平市に住んでいた。友人を新宿駅で見送った後、三鷹駅近くのラーメン店に立ち寄ろうと同駅で途中下車し、事件に遭遇。直後にしたためた日記を、世田谷区の自宅で今も大切に保管している。

 「まさに眼前に見た自分は思い出してもぞっとする(中略)。死体発掘を手伝った時もあまりに興奮して何も分からなかった。(中略)あの死んだ人たちの断末魔の形相やいかに。その心やいかに−」

日記を読み返す堀越作治さん=世田谷区で

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 堀越さんは電車の下に埋もれた人たちの救出を試みたが、想像より早く現場に到着した米軍の憲兵らに追い出された。その点を今も不審に思っている。

 電車が突っ込んだ民家に住んでいた当時五歳の下田宇吉さん(75)は「突然、家の電気が消えたのを覚えている。家の三分の一ぐらいが壊れたが、家族全員が無事だったのは不幸中の幸い」と話す。電車は、寝ていた姉二人の頭のわずか二、三十センチ先をかすめた。下田さんは隣の部屋で父親の膝の上にいて難を逃れた。「駅前交番の四人の警官らが全員無事だったのが今でも不思議だ。占領下でいろいろな事件があった時代。真相は闇のままになるだろう」と語った。

 市民グループ「三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会」のメンバーで前三鷹市議(共産)の森徹さん(75)は「疑わしきは罰せずの原点に戻ってほしかったが残念な結果になった。だが、諦めたくない」と話した。

 事件現場は今、駅前交番がほぼ同じ位置にあるだけで、ペデストリアンデッキ整備などの駅前再開発で当時の面影はない。

堀越作治さんが70年前の事件直後にしたためた日記

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