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【東京】

<つなぐ 戦後74年>桜隊悲劇 気持ち寄せ 広島で被爆の移動演劇 目黒で法要

さくら隊原爆殉難碑の前で手を合わせ焼香する参列者たち=目黒区の五百羅漢寺で

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 公演のため滞在していた広島で被爆し、隊長の俳優丸山定夫さん(一九〇一〜四五年)ら隊員全員が亡くなった移動演劇「桜隊」の九人を追悼する「桜隊原爆忌慰霊法要」が六日、目黒区の五百羅漢寺で営まれた。同寺には九人が分骨された「さくら隊原爆殉難碑」があり、毎年行われている。 (岩岡千景)

 朝から気温が上がり、せみ時雨の中、法要には遺族や演劇関係者ら約五十人が参加。僧侶が読経し、原爆が投下された午前八時十五分を迎えると、参列者は起立して黙とうをささげた。同寺の日高秀敏代表役員が「二度とこのようなことを繰り返してはならないと訴え続けなければならない」とあいさつした。

 続いて参列者は千羽鶴や供物の手向けられた殉難碑の前に移動し焼香。おばの森下彰子(あやこ)さん(一九二二〜四五年)が犠牲になったという山本智子さん(87)は「当時私は十三歳でしたけれど、被爆の知らせが入った時に彰子さんの母親が一日中、泣いていたのを覚えています」と話した。

 広島の被爆者を描いた井上ひさしさん作「少年口伝隊(くでんたい)一九四五」の九月の舞台公演に出演予定で「気持ちを寄せたい」と参加した劇団俳優座演劇研究所の若手俳優の一行も。その一人、萩原弥紗(みさ)さん(26)は「木魚の音と読経を聞きながら目をつぶっている時、どんな風に被爆されたのかや、志半ばで亡くなってしまったことなどを思い、簡単には言葉にできない気持ちになりました」と語った。

 法要に合わせ「桜隊原爆忌の会」(東京)が毎年、講演や朗読劇などをする追悼会を催してきたが、「演劇人が減り、みんな忙しい」(会世話人事務局の近野十志夫(としお)さん)などの事情で昨年から休止に。会員は昨年に続き、寺の法要に参加する形で犠牲者を悼んだ。

 

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