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【東京】

90歳高校生「趣味は勉強」 北区の舛谷さん 新宿山吹高で勉学励む

90歳で高校の通信制に入学した北区の舛谷富夫さん=新宿山吹高校で

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 新宿区の都立新宿山吹高校通信制課程に今春、「90歳の高校生」が入学した。北区在住の舛谷富夫さん。毎週土曜日の登校日には、孫より若い同級生と机を並べ、勉学に励んでいる。 (宮崎美紀子)

 「全てが初体験で、入学してから、あっという間でした。やっぱり中学とはレベルが違う。こんな苦しい思いは初めて」。夏休み前の登校日、放課後に自習していた舛谷さんは、笑った。広げられた数学の課題には、きれいな線でグラフや数式が書き込まれていた。

 今春、千代田区立神田一橋中学の通信制を卒業。中学に入った時から高校進学を希望していたが、「まさか合格するとは思いませんでした」。好きな教科は数学。解けた時の楽しさが格別らしい。

 一九二八(昭和三)年、秋田市で生まれた。十四歳で国民学校を卒業し、大田区の軍事工場で働くために上京。父を早くに亡くし、進学は考えなかった。先の大戦では、工場で空襲も経験した。「サーサーと雨が降るような音をたてて焼夷(しょうい)弾が落ち、それがやむと工場の鉄骨にパチン、パチンと当たる音がしました」。防空壕(ごう)から出ると煙が立ち込め、電柱には吹っ飛ばされた誰かの腕が絡まっていた。「よく助かったな…。生かされたんでしょうね」と振り返る。

 戦後は秋田に戻り働いたが、三十歳で再び上京。ネオン看板を製作、設置する大手企業に六十三歳まで勤め、退職後も自営で設計の仕事を続けた。

 そんな仕事一筋だった舛谷さんに転機が訪れる。二〇一一年に妻を亡くし、一五年末には会社もたたみ、「待てよ、俺、何したらいいのかな」と立ち止まった時、都の広報紙で通信制中学の募集を知った。「ああ、これだなと何の迷いもなかった」

 舛谷さんにとって勉強は「趣味です」。戦争に奪われた勉学の機会を取り戻した−といった美談は居心地が悪いという。「これしかないから。やらなきゃいけないんです」。一人暮らしで、毎日朝から夜まで勉強漬け。ボランティアの学習支援教室にも通う。「会社では三十三年間無遅刻無欠勤でした。休むことが嫌い。一生懸命やることについては人に負けない」という生来の性格が舛谷さんを机に向かわせる。

 同校の梶山隆校長は「熱心な舛谷さんの存在は生徒の視野を広げ、とても良い影響を与えているし、私たちも心が和みます」と話す。

 「高校に入ったからには三年で卒業したい。大学にも行きたい」。間もなく九十一歳の舛谷さんは次の目標に目を輝かせた。

 

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