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【東京】

三鷹・井口院の地蔵堂「市内最古級のもの」 江戸・享保年間か 専門家調査で判明

三鷹市内で現存する最古級の建造物であることが判明した地蔵堂を背に青鹿秀靖住職(右)と建築史家の稲葉和也さん

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 三鷹市上連雀の新義真言宗の寺院「井口(いこう)院」にある地蔵堂が、江戸時代の享保年間(一七一六〜三六年)に作られたとみられることが専門家らの調査で判明した。市内で確認されている現存する建造物では「最古級のもの」(市生涯学習課)と位置付けられ、今後は市の文化財指定に向けた動きにつながりそうだ。 (花井勝規)

 井口院は、中野宝仙寺(中野区)の住職が一六五八年に創建。一六七二年にそれまでの「威光院」から井口院に改称した。

 地蔵堂は約四メートル四方で、江戸時代から使われてきた旧山門。これが老朽化したため五十五年前、別に山門を新設。地蔵堂はその東隣に移された。

 青鹿(あおか)秀靖住職(79)は子供のころ、近所の事情に詳しい老人から地蔵堂について「三百年ほど経過している。寺の建物の中で一番古い」と聞いていた。

 武蔵野市の文化財保護審議会委員などを務める建築史家稲葉和也さん(81)が今年三月、上連雀村(現在の三鷹市内)を開村し、井口院とゆかりの深い井口家の調査のため同寺を訪れた。

 稲葉さんが、地蔵堂の構造を詳しく見ると、屋根を支える柱やはりの近くにあった「木鼻」と呼ばれる部材の様式が江戸初期ごろまで盛んに寺院建築に使われていたものであることを発見した。

 地蔵堂の年代を示す資料は寺には存在しないが、井口家との関係を示す部材も施されており、稲葉さんは享保期のものと結論づけた。

 ただ、地蔵堂脇に安置されている複数の地蔵に彫られた年代を見ると、「享保」以外に「元禄」(一六八八〜一七〇四年)の文字もあり今後の調査で年代がさらにさかのぼる可能性も残されている。青鹿住職は「古いものだという認識はあったが、年代がほぼ特定されたことは喜ばしい」と話している。 

地蔵堂には江戸時代初期まで使われていた様式が色濃く残されている=いずれも同市で

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