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【親子でぶらり 学べるスポット】

唐沢山城跡(栃木県佐野市) かつて堅城、今は猫が昼寝

唐沢山城跡のあちこちで猫が日なたぼっこ。散策する人たちにかわいがられていた=栃木県佐野市で

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 唐沢山城(からさわやまじょう)は、坂東で起きた平将門の乱(935〜40年)を平定した俵藤太こと藤原秀郷(ふじわらのひでさと)ゆかりの城だ。秀郷の子孫は全国各地で威勢を張った。北関東で勢力を広げた一族のうち平安時代末期、佐野の地に土着して「佐野氏」を名乗った初代が、藤姓足利氏庶流の基綱だとされる。

 関東では応仁の乱に先がけ、享徳の乱(1454年)の勃発から戦国の動乱が始まる。唐沢山城は山城の重要性が増したこうした時期、何代にもわたって城普請が続けられたようだ。標高242メートルの山頂を本丸として広範囲に曲輪(くるわ)が配された。いたるところに横堀が掘られ、山の斜面に沿って深い竪(たて)堀が幾筋も走り、曲輪への侵入を阻む。関東の城には珍しい高石垣も。

 佐野は要衝の地。関東制覇のため越後上杉氏と相模北条氏が奪取を競う。城主昌綱はいずれの攻撃にも籠城策をとる。上杉謙信には少なくとも5回は攻められたという。ときには撃退し、ときには降伏したが、謙信をてこずらせた堅城として名を馳(は)せた。

 謙信亡きあとは北条氏康の子氏忠が乗り込んできて城主に。豊臣秀吉による小田原攻めで北条氏が滅びると、秀吉側近の子(富田信種、のち佐野信吉に)が城主となった。江戸時代を迎えると唐沢山城は廃城となる。佐野藩が成立したものの、秀吉の影をひきずる外様のこの藩はほどなく改易される。その後信吉は赦免され、その子が旗本となって幕末まで続いた。

 現在は本丸跡に秀郷公を祀(まつ)る唐澤山神社が立ち、ハイキングコースも整備されている。いつのころからか置き猫(捨て猫?)が増え、曲輪跡のベンチや置き石の上で昼寝などしている。かつて大勢力に翻弄(ほんろう)され、苦悩した武士たちにはさぞうらやましい光景に違いない。 (小鷲正勝)

◆ひとこと

 「200名城(続日本100名城)に選定され、一昨年は佐野で全国山城サミットが開かれ、平日でも来訪者が多くなりました」とボランティアガイドの須藤友行さん。

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 ★メモ 栃木県佐野市富士町など。東武佐野線田沼駅からタクシーで15分、徒歩では70分。2014年に国指定史跡。史跡面積は194ヘクタールで東京ドーム41個分に当たる。本丸跡には1883年、唐澤山神社が建立された。一帯は県立自然公園に指定され、自然豊かで散策やハイキングが楽しめる。好天時には都心の超高層ビル群や東京スカイツリーが望める。(電)0283・61・1177

●足を延ばせば…

 ★春日岡山惣宗寺(佐野厄除(よ)け大師) 佐野市金井上町2233、東武佐野線佐野市駅から徒歩10分、JR佐野駅からは徒歩15分。「佐野厄除け大師」として広く親しまれている。944(天慶7)年、藤原秀郷が創建したと伝わる。厄除け元三慈恵大師を安置し、厄除け、方位除けを祈願。正月の大祭には100万人以上の参拝客が訪れ、にぎわう。(電)0283・22・5229

 ★田中正造旧宅 佐野市小中町975、佐野駅からタクシーで15分。明治時代に起きた足尾鉱毒問題の解決に生涯をかけて尽力した田中正造の生家。写真や掛け軸を展示。波瀾(はらん)万丈の生涯を伝えている。入館料大人300円、高校生以下無料。開館は火・木・土・日曜で10〜16時。原則月・水・金曜は休館。(電)0283・24・5130

 

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